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ボヘミアンについていかれない
昨日、朝から晩まで、また家の中で片付けていた。
一人の引越しなら、一週間できれいにできるが、三人子供がいるので、家財道具が多いし、部屋数もある。
絵をかけたり、壁に取り付け棚をつけたり、蝋キャンドルのおき場所が決まったり、と言う段階に来るまでには、やはり三週間かかるのねえ、とため息が出た。

で、居間もすっかり終わった。
私は、人のうちを拝見するのが大好きだ。
それは、インテリアが趣味と言ったことではなくて、家の中を見ると、遠くにいるその方の生活環境をぐっと身近に感じることができる。
そういう親近感が沸くので、とても興味があるのだと思う。
その際、趣味とかそういったことには、関心ない。
簡単に言えば、生活臭に触れたいのだ。

で、私の生活臭も、いやでも発散させようと思うのだが、何せ、まだ匂いが漂うほど住んでいない。
この先、もっと物があふれて汚れてくるのだろう。

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窓の外に見える木が、3日前はまだハゲであった。それが、このように輝いてくるのが嬉しい。

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もうちょっと角度を変えると、こうなる。そういえば、このタブローは、小さくて見えないが、パリの蚤の市に友人と行った時に見つけたものだった。
16世紀の作曲家マリーニの稽古風景が描かれているので、ほれ込んだ。
確か二つで30ユーロ。安かったよなあ。

で、家が一段落し、疲れたときにふっと休める避難場所ができた。

_____________

昨晩、夫の営む出版社の朗読会があった。
でも、普通想像するようなまじめなものではなく、紛れもないボヘミアンの集まりで、偶然私の住むとおりにある、インサイダーなナイトクラブで行われた。
写真家の写したモノクロームの映像をバックに流しながら、作家自身が朗読するのだが、その小説が、下手をするとひどく過激なポルノグラフィーと言えるような内容である。

九時開始と言う始まりも、日本では異例だが、すさまじいのは、バーに入ったとたんに、呼吸困難に陥りそうな空気だ。
ほぼ全員、すぱすぱとタバコを吸い、手にはお決まりのBecksのビール瓶。もちろん女性もビンごと飲むのである。
私は喫煙しない。喫煙者を毛嫌いする権利はないし、消費する自由は認めざるを得ないので、普段は静かにしているが、このような空気を何時間も吸わされるとなると、もうその瞬間吐き気がしてくるではないか。

私は、入った瞬間、夫に別れを告げて、片隅のソファの端っこに腰をかけて、しばしこの空間を眺めることにした。
唯一、年配の男性が、そのソファの横に腰掛けていたので、すぐさま、この雰囲気にくらっと来た私は、そちらに突進したのだ。

で、一面黒。黒以外の服を着ている人間が見えない。
男は、たいてい、グレーか黒などの「いかした」タイトスーツに、白いTシャツや、ワイシャツを着ている。もしくは、黒やグレーのブレザー風ジャケットに、ジーンズ、白いワイシャツと言った格好。
女は、黒いタイトなワンピースか、ジーンズに黒いトップのような感じ。

で、全員、上を向いてビール瓶片手に、ぷかぷかなのだ。

朗読そのものは、作家兼朗読者が、もちろん何本もビールを飲みつつ、タバコを一箱消費しながら進行した。
で、酒を飲んでいるので、まあ読み間違えの多いこと。
しかし、それがチャームなのである。
それを素面でまじめに朗読するようでは、客がしらけるのであろう。

客の面々を眺めていると、チェーンスモーカーばかりだ。
朗読中も、席を立ってはビールの追加を取りに行く。
やっと吸い終わってくれたと思っても、1分も経たないうちに、またタバコを箱から取り出す。
隣にいた若者グループなど、巻きタバコだから、こっちにくる煙も果てしなく濃厚だ。

私は、本当に咳の発作を起こし続けであった。

で、その小説のキッチュなことと言ったら、私の方が穴に入りたい気分である。

朗読会が終わって、私は夫の知人関係に一通り、冷たい挨拶をした後、ビールの一滴も飲まずに、徒歩30秒の家に帰宅した。
九時開始、帰宅時間11時半。
本当に、チラッと見てきただけだ。
でも、子供たちの寝顔を見て、ベッドに入れることの方が、有効な時間の使用法だなと実感。
着ていたものは、ひどくタバコくさいので、すぐさま脱いで、シャワーを浴びて就寝した。

_______

しかし、寝起きが良くない。
私は、昨晩のことを引きずっているようだ。

ボヘミアンとは、あのようなものであろうか。
黒い服を着て、妙に気障だったり、妙に良い男であったり、妙にアンニュイだったりし、女は、一様にニコリともせず、タバコをふかしつつ、切れのいい会話を男と競う、というような、そんなものだろうか。
Becksのビールをビンごとのみ干し、カルトな銘柄のタバコを吹かさないと、「つまらない」類の人間なのであろうか。
小説家、ジャーナリスト、モダンな人文学者、出版者、編集者、そういう業界にいる人間は、「退屈」「つまらない」というカテゴリーにはまったら、人格崩壊なのだろうか。
人間として、「つまらなくない」演出こそがすべてなのだろうか。

私は、昨日一日中掃除をし、自分のための場所を築くために、心を集中させていた。
ずっと立ちっぱなしだったので、疲れきってちょっと休もうかなと思いラジオをつけたら、私のお気に入りの「古楽の時間」が放送されていた。
簡素で少数の楽器で演奏される古楽、さらに、澄み通るような声で歌われる古楽を聞いていると、心が自分の中心へ向かって、鋭く研ぎ澄まされていくような気がした。
私自身とか、自己とか、そういったものを実感する瞬間である。
その地味さや簡素さや、構成の「貧しさ」に、私の心は揺り動かされるらしい。

そんな体験をした後、夕食を作って急いで出向いた先が、昨晩の朗読会である。
ボヘミアンとはなんだろう。
ボヘミアンの定義は、WIKIを見れば、いくらでも納得することができる。
しかし、今ベルリンで一番「ハイプ」といわれるこの界隈に住み、インサイダーの隠れ家のようなバー/ナイトクラブに集まってくるインテリ集団は、いったいどのような世界観で暮らしているのか、皆目わからないのだ。

出版業を任されている知人の男が言っていた。
「こいつら、本を買うには、クールすぎるんだよね。本すら買わないんだよ。」

理解するのに、ちょっと時間を要したが、結局、インテリ度が高いことは、当たり前であるが、本というメディアは、もう古臭くてやっていられないのである。
私は、ウェブ進化論を読んだ時、新いなあと感心したのを覚えているが、そのウェブすら、彼らの眼中にはない。
「インサイダー」な飲み屋で夜な夜な通ううちにつながり、そこから広がる人脈を通して体験する、こうした「アンダーグラウンド」なイベントこそ、「今」の「ハイプ」なボヘミアンライフそのものなのだ。

この引きずり感は、私が歳を取ったことを実感しなくてはならない事実である。

二十歳そこそこで、私は欧州にやってきた。
最初は音楽畑で、パーティーや社交に鍛えられた。
日本と比べると、コミュニケーションのシステムが、比較にならないほど異なる。
お互いに話しかけて、相手にふさわしい話題を察して、会話を築いていこうとする日本の世界に慣れていたが、こちらでは、必ずしも、私にふさわしい話題を探してくれる人にめぐり合うとは限らない。

しかし、クラシック音楽関係は、いたって保守的である。似たような育ちの人間が、似たような環境に生きてきた背景を抱えながら、会話をする。
身なりや立ち居振る舞いにも、ある種の共通点があるし、コンサートの話や、CDの話をしていればとりあえずいい。

それでも、私は戦場に行くような気分で、パーティーや会合に出向いたものだ。
本当の私、といったものは押し殺して、望まれている私、とか、演じるべき私、と言った役割を叩き込まれた気がする。

おかげ様で、どんなパーティーに行っても、物怖じしないで乗り切る処世術は身につけただろうか。

ところが…、このボヘミアン軍団は、まったく私の小市民的/市民的(要するにプチブル的)背景の通用しない軍団である。
Wikiにもあるが、そういう家庭に育った子息の反逆精神のライフスタイルが、ボヘミアンであるわけで、利口にクラシック音楽など奏でていないで、前衛で、最先端に意地でもかじりついていることをモットーとする人たちである。

そんなところで、相手本位な会話を構築して、コミュニケーションを成立させようと思うこと自体が、姿勢として失格の烙印を押されるほど、異質なことなのである。

かといって、インサイダー情報と人脈でつながる彼らの会話に、いとも簡単に、するりと入りこむことは、不可能である。
なんでも練習が必要なのと同じで、インサイダーになるまでの意志と訓練が問われるのだ。

昔の私だったら…。
どこまでも突き進んだろうと思う。
失敗しても、また違うグループに行って、いとも簡単に会話に入ることを試したと思う。
夫や彼氏、友人の背中に隠れることすらなったが、ついて回った時代もあったかも知れない。ドイツ語をうまく駆使できなかった頃は、そうして聞いて、聞いて、システムを把握しようと必死であった。

いまや、自立してパーティーを渡り歩けないこと自体が、恥だという、そういう燃えるような、yと言えば聞こえが良いが、「無謀な」野心だけは持っている私なので、夫の後ろに立っている自分というのは、ないものと決めているのだ。
だから、飽くまでも、「私」という名刺を提げて、ひや汗かきながら、演じるべき自分を演じきろうとしたはずである。

ところが…、

今の私は、もう疲労困憊するのみである。
結局、「自分」以外になる気は、さらさらないと言うことがわかった。
それを無駄な労力と言い切る自分というか、自己の存在をはっきりと感じた。

今更…、とおっしゃる方には、そうなんですよと言いいたい。
私は、性格の強さは持っていても、自己や自意識に関しては、まったく「人格レス」かと言いたくなるような、「白紙なひと」なのである。

それが最近、またまた家を出たり、自分の巣を築いている間に、私の「核」に触れそうな気配がしてきたのである。

それを象徴するようなパーティーが昨晩だったから、後を引くのであろう。

私は、中世やルネッサンスの音楽を静かに聴いて、古いものや新しいものに囲まれて、シックとか、ハイプなものを故意に拒否することで、ライフスタイルとする、地味で、硬質で、変化を嫌がる「たいくつ」な人間なのである。
でも、人に邪魔されず、好きな分野の本を読んで、自分に思いをめぐらせることの好きな、異常に内向的な人間なのである。

しかし、だから何であろうか。
自分を曲げないと認められないような世界には、足を踏み入れない。
今更、挑戦を続ける必要はないのである。
挑戦を続けることは、単にポジティブであるが、線路を決めないといけない。

これは、先にも書いたが、やはり年齢のせいでもあるのである。
それを実感することが、小さな痛みであるが、自己の方を大切にする自分が、今の自分にはテーマであろうと思うのも、また事実である。

問題は、夫自身の世界が、知り合った当時とは、違う方向へ伸びて行っていることである。
彼も、やはり自己を再確認しつつあるのかもしれない。

だとしたら、私たちの歴史は、蜃気楼に過ぎなかったのか

という最大の疑問がわいてくる。

おそらく、それが後を引いている真の原因であろうと思う。

夫も、おそらく同じ気持ちを抱きつつあるのであろうか。
ハイプを追い求める夫。
ハイプは、不要要素と言うレッテルを貼った私。

どう、折り合いをつけるか、これからの課題である。

要するに、夫婦は、夫婦という二人だけのレベルを保つだけで、社会的要素は、別々に生きても、夫婦であり続けるのだろうか、ということである。

まだまだ、私の実験人生は続く…。
by momidori | 2009-04-18 22:31 | 巡る思考
教育制度について詳しく
このスキンは、かなり怪しい色で、自分自身読みにくいなあと思っているのだが、今までの自分を捨てたいような変な気分が続いているので、次の方向性が見えるまで、このままにして思うかなと思う。

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さて、教育制度への反応に、少し手ごたえがったので、もう少し深めてみたい。

今の教育制度が整ったのはもちろん戦後である。
小学校六年というのは、基本的に4年生までで、州によって五年生から次の段階に進むところと、7年生から進むところに別れている。
つまり五年生から七年生というのは、オリエンテーションの段階と解釈され、ベルリンのように6年生まで小学校に残れても、またはバイエルンのように五年生から小学校を去って次の段階に進んでも、原則的には7年生までは、あくまでもオリエンテーションであると考えるべきである。
戦後の制度で、成績の良い順に、Gymnasium、Realschuleと並び、その他の生徒達は、19世紀に制度のできた国民学校と呼ばれるVolksschuleに進学した。
これは、現在のHauptschuleと同様に、九年生までである。日本の尋常小学校と同じようなものだろう。

また、私立の学校はあるにはあるが、特殊な教育方針を持つシュタイナー学校、モンテッソーリ幼稚園、小学校などが多くを占め、高等教育の私立は、全寮制や宗教団体などのものがいくつかある。しかし、日本などと比べて、私学に通う生徒の割合は、殆ど皆無に等しく、ドイツは90パーセント以上大学まで公立であると解釈してよい。

以下、簡単にそれぞれの特徴を説明したい。

ギムナジウムとは、最終的に大学入学資格を得るための学校である。現在、バイエルンでは、一番高等な職業訓練学校でも、アビトゥアと呼ばれる大学入学資格を得ることが出来るようになったが、それ以外は、このギムナジウムに進学しない限り、成人するまで他に大学入学資格を得る方法はない。
アビ(アビトゥアの略)を取るには、最も最短コースであり、90年代には、オリエンテーション段階ですでにギムナジウムに進学する生徒が、レアルシューレやハウプトシューレを上回った。
アビがあれば、大学に直接入学するか、すべての職業養成専門教育や専科大学への道が直通となるのだ。
ギムナジウムの特徴は、母語のほかに二ヶ国の外国語をしっかりマスターすること。
学校では遅くとも8年生から、第三外国語も開始される。

この種の学校は、一応選択度の高い学校なので、常に成績が管理され、成果の出ない生徒は、オリエンテーション段階では一つしたの学校へ、その後は落第、または一度の落第の後は、やはり一段階下へ行くという処置がなされる。
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レアルシューレ
とは、現在のハウプトシューレ、または63年以前は国民学校と呼ばれた学校とギムナジウムの中間に当たり、「拡張された一般教養」を提供するという概念に基づく。
生徒の大半は、上昇志向を持つ中流家庭という背景を持つ。
より要求の高い職業につくための基本となり、今日でもその位置は認められており、重要な役割を成している。
特にサービス業が拡大しつつある社会でその需要をしっかりと見定めており、この学校の卒業証書を手にすると、その後、様々な可能性が広がる。
現在では、レアルシューレの卒業が、基本的な学校教育を受けたことの証明となっており、様々な職業養成専門教育、単科アビトゥアを取得するための職業高等専門学校(その後は専門大学へ行くことができる)、または専門ギムナジウムなどに行くほか、普通のギムナジウムに転入して総合大学への切符を取得するためのアビを目的にするものもいる。

職業養成に非常に力を入れているが、総括すると、中流の教育であり、専門大学への道も開かれているというわけだ。

多くの州では、このレアルシューレにハウプトシューレを統合し、ハウプトシューレの生徒も、少なくともこの中等教育修了書を取得できるようなシステムに移行しつつある。
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さて、ハウプトシューレである。もともとは、国民学校の高学年に当たったわけで、4年生以後、オリエンテーション期間を含めて、九年生の15歳で、この学校を終了することになる。
入学当初より、職業養成教育に向けて準備が始まり、実践とメソッドに重点をおいた教育内容とされる。
この学校は、知識に重点を置いた教育に釣り合いを取るため、そのような教育が負担とされるような「生徒たち」のために適した教育内容を提供しようと作られたとされる。その背景には、レアルシューレやギムナジウムでの落ちこぼれにかかる教育の負担を軽くし、つまりより効率的に学校としての成果を挙げるためという意味も隠されている。

この学校に進学する生徒は、若干であるが、その殆どが社会的に弱者の立場にある家庭の子供達で、その一部はドイツ語を母語としない。

ハウプトシューレは、現在南部の州やベルリンで支持されており、一部の州は、すでにレアルシューレに統合されている。
旧DDRには、この形態の学校は存在しなかったため、現在でもベルリン東部を除いて、ハウプトシューレは、ドイツ統一後も導入されずない。

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以上が、およその説明である。
このほか、Gesmatschuleと呼ばれる総合学校があり、これは、小、中、高が統合されていり、それぞれの能力に応じて、中途で卒業したりやめたりしても良い。
68年に、当時のリベラルな風潮を受けて、機会平等を信念に西ベルリンで成立した学校制度であるが、成績の良い生徒の親は、小学校の後はReal、またはGymnasiumに進学させることを好み、中等以降のクラスの成績に大きなばらつきがある。
そのため、全体の総合学校としての成果は、一途に下降線を辿っている。
そもそも、この種の学校の数は非常に少なく、殆ど大きな特徴を発揮できずにいる。


私自身の印象としても、データとしても、この制度の大きな問題点は、やはり機会平等がなされていないということと、それを支援するどころか、その壁を突き破る手段が限定されてしまうという事実だろうか。
高い職業、大企業のマネージャーや取締役、管理職、学術関係のクラスの子供は、特殊労働者や、低い単純労働者などの子供に比べて、6倍以上多くギムナジウムに進学し、その下とされる医者、教授クラスに限っても、三倍以上多くギムナジウムに進学している。

30万人以上の人口の都市では、もっと深刻で、この割合は飛び上がり、15倍以上となる。つまり10人の労働者の子供のうち一人がギムナジウムに進学するのに対して、中規模都市以上では、10人の高い役職の親を持つ子供は、全員確実にギムナジウムに行くのである。
これは、その差をまたは、弱者の出る幕が殆ど存在しないしないことを物語っていると思う。

よく移民家庭の子供達ばかりが集まる坩堝だと評価されることがあるが、研究結果によると、実際は社会の下層階級であれば、外国人であろうが無かろうが、機会は非常に限定されることがわかっている。

私が恐ろしいと思うのは、やはりいくらオリエンテーションが七年生まで、つまり13歳ぐらいまでだと概念的に言われても、実際は五年生、つまり10歳で進路が決まってしまうといっても良い。さらに南部は先生の推薦状が最もものを言い、親の一存でどうにもできない、言い換えれば、親が宿題を見るなり、子供の成績を管理する環境になければ、子供のチャンスはますます少なくなる。同じ成績の子でも、親が毎日勉強を見ることで、その成績を保っていかれるか、親が言葉も分からなかったり、家庭内が失業問題などで、それどころではない場合、成績は下がらざるを得ない。

最近は、どんな職業でも、最低レアルシューレで取れる中等教育卒業証書がなくては話にならない。ハウプトシューレを卒業しただけでは、もちろんこ中等教育修了書も得られない。よって、良い成績を取り、10年生に進学してこれを取るか、トップの成績でレアルシューレに転校するかである。この家庭のものが、後に目覚めて大学とまで行かなくても、専科大学や、職業専門高等学校に行きたいと思ったら、これは至難の業である。

親が子供を支援できないからこそ、社会にそのような機会平等の制度が設けられなければ、そもそも教育を与える意味がない。
これは、生得説などに基づいて生み出された考えだとする説もあるが、とんでもない話で、最下位残留生徒の学校と言ってもいいと思う。
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さらに精神的に、この思春期の子供達に及ぼす影響も考えて欲しい。
この界隈でも、学歴の高い親たちが夢中になっていることであるが、より健康なものを食べさせ、自分だけが見つけたショップの服、などといった特殊な暗号のようなブランドを子供に着せることも多く、水はヴォルヴィックしか飲まないという家庭も実際にある。
普段の態度も、やはり肉屋などに対して大柄になりがちだ。
自分たちが高い給料をもらい、多くの部下を使って責任ある役職についているのだから、仕方ないといえばそうなのだ。
しかし、そのような親に育てられた子供が、10歳でギムナジウムに当然のように入学すると、やはり自分達は当然レアルシューレよりすぐれていると信じ込むところである。

社会の姿は、様々な側面を持ち、勉強ができる人間がファーストクラスなのではない。勉強ができない人間だからこそ持っている味というのがある。
勉強が好きで、数字と戯れるのが趣味という人はそれはそれで、すごい才能だと思うが、どうしても人を助ける職業につきたい、とは思わないものではないだろうか。
あいつは、青っ洟をたらして貧乏だけど、嘘をつかない良いヤツだったとか、あいつは、戦争難民で、複雑な家庭環境だったけど、言葉が通じなくてもとにかくサッカーが上手かった、とかね。

そういう個人の「差」を認めて受容し、寛容な視線を培い、それでも共存していくスペースを確保するのが社会ルールというものではないだろうか。
それを「差」を認めて、受容せず、それを差によって分類し、隔離するとどうなるのか。
その基準が「成績」である以上、上のものは、私はマシな人間と思い、下のものは、確実に俺の人生はどうせたいしたことにはならない、と思うのが普通である。

そのエリート意識を助長するこの制度と、負け犬意識をさらに孤立と二本立てにしてしまう、この隔離制度に本当に不安を覚える。

心理的側面の方が、実はずっと大きい問題ではなかろうか。
ファーストクラスの人間。
セカンドクラスの人間。
その分かれ道の基準は成績。

競争社会であるからには、これは生まれたい上避けられない。
しかし、その競争社会で生き抜いていくための力をつける機械平等は、一体どこへ行ったのだろうか。
10歳で分けるのは、あまりにも残酷である。
また、温室育ちのこの恵まれた上、中層の子供達が、下層の子供たちを目にせず、触れ合う機会も、その本当の人間としての真価を知ることもなく、そのままエリート街道を進むと思うと、はっきり言って背筋が寒い。

冗談じゃなくて、その手のビジネスマンにフランクフルト空港でよくお目にかかることがある。
あれだけ横柄な態度と、あれだけ移民外国人や弱者を軽蔑的に見ることができるのは、10歳からのエリート意識だと、私は信じて疑わない。
社会教育がなされていない。

私は断じて、この教育制度をぶち壊したい。

そのために、ドイツの国籍取得して選挙権でも取ろうかと思うほどの怒りである。

その前に、税金を払っている外人には選挙権を渡せという運動の方が先であろう。

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日本では、ドイツの教育を理想化しているところがあると、コメントにてお知らせいただいたが、それはその影響をよほど考慮しない限り、今の社会構造においては、非常に危険な気がする。
細分化は、時に問題を区別し効率的な処置を取るのに役立つが、教育で、その能力や才能を細分化することは、Selektion(選抜)にあたり、Integration(統合)とはまったく反意となってしまう。
Selektionをするには、せめてオリエンテーションとされる七年生までは統合した教育を図り、その後、八年生にあたる14歳から、入試にするなり、成績によって区分すればよいと思う。

しかし、それには、教育費が更にかさみ、週によっては午前中で学校が終わるという時間割を改善し、全日制度に移行して、午後4時ぐらいまで授業をしたり、補修をしたりする必要があるだろう。
ギムナジウムのように、早く終わっても自主的に勉強しろといって、全員が着いてこられるわけではない。授業範囲内でもサポートが考慮されなくてはならない。
その人員と経費を一体どこから引っ張り出してくるのかが、大きな問題であるのと、現在では未だに、教育管轄が州ごとに独立して行われていることも、それを難しくしている大きな原因である。

ベルリンでギムナジウムだからといって、自動的にバイエルンに引っ越して転入できるというものではない。そういう難しさが、様々な平面でものごとを改正するのを困難にしている。

経費に関しては、大学の授業料導入がすでに実施されている。それ以前の教育段階では、私立化するなどの意見もあるのかもしれないが、私立といえば、やはり家庭背景が中流以上の子供達しか払えないという、日本での問題に直結するわけで、直接的解決にはならないだろう。

日本は、地方分権化を支持する動きがあったり、教育制度の細分化を図る動きがあるのかもしれないが、私はそれに関してまったく無知である。

どなたかに、詳しい情報をいただけると、大変ありがたい。
by momidori | 2008-10-28 09:38 | 社会
デジタル・ボヘミアン
ドイツ語を理解できる皆様に、面白いリンクをご紹介したいと思います。
私は、以前熱狂的にTAZという新聞を愛読しておりましたが(この新聞の性格は、リベラル、左、インテレクチュアルという言葉の混合で、ジャーナリズムの真髄を見せてくれます。)、段々洗脳じみて来たのが嫌になり購読をやめました。
で、その新聞でdigitale Bohèmeという合成語を目にしたとき、なんというすばらしい表現だろうと、かなり感動したのを覚えております。
ボヘミアンの定義ですが19世紀初頭より現れたもので、WIKIによると
「定職を持たない芸術家や作家、または世間に背を向けた者で、伝統的な暮らしや習慣にこだわらない自由奔放な生活をしている者をさす言葉に変化した。そのニュアンスとしては、良い意味では「簡素な暮らしで、高尚な哲学を生活の主体とし、奔放で不可解」という含意、悪い意味では「貧困な暮らしで、アルコールやドラッグを生活の主体とし、セックスや身だしなみにだらしない」という含意がある。」
ということになります。

現在、日本でも雇用問題が大きなテーマです。ドイツでも10パーセント以上がフリーランスで、日本で言えば、派遣という響きに近いでしょうか。
そこにデジタルを加え、インターネット環境を自分の稼ぎに利用して生きる、フリーランサー達を表現している言葉といえば良いでしょうか。

このヴィデオは、このデジタル・ボヘミアンたちに関する詳しいそのライフスタイルを本にした二人が、このライフスタイルを説明し、問題点や肯定的な点を指摘しています。
ニュー・エコノミーではあるけれど、ある意味でブルジョワ的な性質を拒否するボヘミアン性が強く出ている点がそれと相違している。

ベルリンには、特に私の住むPrenzluer Bergには、この手の人間がうようよしており、現に、私も自分の能力を使ってフリーランスで食べているわけであり、夫もそういう意味では企業家などと言いつつ、紛れもないボヘミアンなわけです。
そこで私のブログもボヘミアンと名がついているわけですが、今世紀のボヘミアンは、やはり様子が違うわけですね。
固定ポストを会社や組織に見つけようと思えば見つかる能力や学がありながら、あえてデジタル・ボヘミアンを選択する。
親からしてみたら、またはブルジョワにしてみたら、彼らがまったくノートブックの裏で何をしているか皆目わからない。
まるで、延々とサーフしているようにしか見えない。けしからん!と言うわけです。

そこに、この本、直訳で「僕らはこれを仕事と呼ぶ」をこの二人は書いた。
実際に、この謎のライフスタイルが解剖されている。

下記に、ヴィデオ紹介文を訳します。知的好奇心のある方は、是非クリックしてください。
また、こちらは出版された本のリンクです。
なかなか奥が深い。早速注文して読むつもりです。
なんたって、これは私自身の話のようなものであり、私の住む地域の隣人の履歴のようなものでしょう!

ベルリンの、知的ボヘミアンの生態に興味のある方も、是非どうぞ。

Web 2.0ならぬ、Arbeit 2.0に笑えますね。

「この本は、超モダンです。皆さん読むべきでしょう。」
Ingeborg Bachmann賞(ドイツで最も権威のあるとされる文学賞)受賞者のPeter Glaser氏は、この本についてこう語っています。
Holm FriebeとSascha Loboは、その著書『Wir nennen es Arbeit』の中で、デジタル技術とインターネットのおかげで、正社員や有限会社設立とは対照的に、自分の仕事を自分で限定していくという夢に近づきつつある、デジタル・ボヘミアン、または大都市居住者についてその肖像にせまります。


本のリンク
http://wirnennenesarbeit.de/index.html?nr=20060928113212

ヴィデオリンク
なぜ彼らが、それでもネオリベラルの最先端ではないのか、さらに人形の洋服を縫うことが、それとどういう関係があるのか、二人の著書は、この会談の中で解説しています

http://www.jobtv24.de/de/specials/elektrischer_reporter?ct=325&vid=6627

派遣とか、非正社員とか、大問題ですが、このベルリンでは決してネガティブなだけではない。能力や学歴があっても、あえてブルジョワ的スタイルを拒否して、自分で生きていくのに十分なだけ稼げればいい、もっとリラックスした生き方をしたいと、このような形態を選択する人間もいるのですね。
もっと広がるかもしれない能力を鋼のような会社社会にねじ込まずに、自由に自分なりに広げたり、つなげて生きたいという意志です。ブルジョワ的な意味での安全は一切保障されませんが、それをある種のプロテストとして拒否する。

私は、そんな主旨があってフリーランサーではアリマセンが、そんな勇気はないんですけど、結果としてそのような人間に囲まれて、そのような生き方をしているものです。

この本、興味深いなあ。即買いですね!
by momidori | 2008-10-26 08:30 | Book
怖いぞ有名人
口内炎までできた。
ひりひりと激痛が走る。
話すのもいや。食べるのもいや。
しかし痩せない。
頭にくる。

今日は歯医者。やっと…。待ちに待っていましたよ!
本来なら今日も、上の親知らず二本抜歯予定だった。
しかし、今日は断ることをとっくに決意。
今日は、下の抜歯後のむき出した骨を削っていただこうではないか!

腰も痛い。
鼻が詰まり、咳が出、たんが絡み、頭痛がする。

______________

ところで、私は三月からあるお嬢様をレッスンしている。
可愛らしい五歳のお嬢様だ。

私はオーガニゼーションしている同僚から、今日さ、新しい女の子が君のところに行くからね。5時だからね!と言われた。
そうですか、と何気なく受け取ったその生徒。

コンコンとドアがノックされ、開けた途端、私の心臓はトクトクと波打ちだした。

すんごい有名な俳優だったのだ!!!!!!
しかも、すんごい格好良いのだ!!!
名前を言いたくてうずうずするが、プレイベートのことなので書けない。
残念。
あの映画にも、この映画にも出ているあの人よ!
青い目の、茶色い髪の、男らしくクールなあの人よ!!

で、私は「あら始めまして!どうぞ入ってください」と、異常に努力して冷静を保ち、お嬢様と握手をし、レッスン開始。
よくできると、俳優パパが「いいぞ~、○○!上手いぞ~!」と拍手なさる。
ここは、芝居小屋か?と思うほど、なんというかちょっとやりすぎの気があるのだが、まあそれが俳優と言うものでしょ!

でもそう言えば、俳優って、自分の日常も演技しているのか、どれが自分なのか、こんな感じで生活していたらわからなくなるんじゃないか?
なんて、平凡な主婦は余計な心配したが、そんなことはどうでも良い。

なんか、入れ込みすぎのレッスンが終わった後、私はぐったり。
しかし!その後、
「いや~、○○」

ア、アタシの名前をこのお方は今呼び捨てた?

「う~ん、気に入ったよ。また来週も来るよ。今から契約書書いて、すぐに決めるから。」

あ、ありがとうございます。
っていう感じだが、ひたすら、あらそ?それはよかったわ、と平静を保つ。冷や汗を感じた。

で、私がいつからドイツにいるとか、何人子供がいるとか、しばし無駄話。
一瞬、本当にアタシはこのお方とこんな話をしているのかと、夢心地になりましたよ。

しかし、俳優の持つオーラはすごい。
かれは、決して大柄ではなく、そんなに派手な格好もしていない。
ジーンズにグレーのセーターだったり、ジーンズにボーダーのTシャツだったり、もうそれは平凡なのだ。
しかし、決まる。びしっと決まる。
しかも、一言一言が大げさで、あっという間に芝居小屋に引きずり込まれるから、注意しないといけない。
気がつくと、いい気にナって、こっちもできない安い芝居を始めて、とんでもないことを言いそうになるからだ。
そんなことをした折には、絶対に一瞬にして現実に戻されるような発言を彼はするであろう。

ああ、そんなババクサイへまはやらないわよアタシ。

で、また握手をしてさようなら。

チャオと言った彼。
こっちでちゃおっていうと、ちょっと気障なんだけど、まあ彼は一挙一動どうせ気障だから、それも決まっているうちに入るのだ!

何週間か、毎週のように彼がお嬢様を連れてきては、狭いレッスン室でじっくり聞いていくので、私も何でかなと思ったが、簡単!
有名人だから、外でふらふら待っていたくないんですよ!
一時間も、ほっつきあるッたり、スーパーに行ったり、カフェに座っているのが面倒くさい。休まらない。
で、レッスン室で時々携帯電話をいじくったり、思い出したように娘に、「いいぞぉ~、すごいぞ~」と叫んでいるわけです。

その後、忙しくなったのか、ママが娘を連れてくるようになった。
もちろん、結婚なんてダサいことはしていません。
彼女は、某一流エレクトロニクス会社で、音楽開発部門で働くキャリアウーマン。エキゾチックな容貌が美しく、可愛く。
しかし、なんともカジュアルで、ノーメーク、気取りゼロ。
本当に感じが良い。

ますます俳優へのポイントが高くなる!
こういう女性をパートナーにしたと言うのは、彼にはばっちりと中身がある証拠だ。
などと、関係ない人の人生に首を突っ込んで喜んでいる。

彼女も私のところで習おうかしらなんて言っている。
困った。

ふたりはでも、どうやら別々に住んでいるらしい。
二人とも、家を持っているのだ。
で、パパのうちにグランドピアノが、ママのうちにアップライトがという感じ。

ママは、しかもロンドン育ち。
シックすぎる。

その後しばらくしてパパが再登場した時、なんとさらさらとしていた髪の毛がばっさりと刈られていた。

その前の週に嵐がベルリンを通り過ぎた。

「あらまあ、髪の毛切ったんですねえ!」
相変わらず、つまりもしないことしか言えない、会話センスのないオバサンだ。情けない。

で、彼の答え。

「う~ん。ホラ、実はさ、先週の嵐が、俺の髪の毛を吹き飛ばしちゃったんだよ。」

さすが、俳優の答えは、尋常じゃないよな。

で、アタシは一体これになんと答えればいいのか。

情けないセンスゼロのババアは、
微妙に不気味な笑いを見せて、じゃあレッスンしましょうか、などといってごまかすしかなかった。

こういう男性の傍らに添えないのは、まあ、当然なんだよな。
器が小さい。

というか、繰り返すけど、一事が万事、芝居小屋。

________

どうでも良い。
彼らは、たぶん撮影で、海外へ行っていた。なので一ヶ月お休みしていたのだ。

先週、私が風邪でレッスンを休むので、ちょうどまた来ることになっていたお嬢様にお電話を入れた。
ママの携帯番号だよな、これは。
私は頭からそう決め付けていたのだ。
だって普通は、こういうこと管理するのはママだし。

で、早朝朝八時半に電話。

「ハロ~?」
って出たのが、パパ。
いやあ、朝からですね、早速芝居小屋のハロ~を聞いて、ちょっとたじたじしました。
「うわ~、○○!(また私のファーストネームを呼び捨ててくれた!)久しぶりだなあ、元気だった?」
アタシは友人なんだろうか???

経緯を話したら、それまでの生徒の家では、わかりました、お大事にね、さようなら、ですんでいたのだが、このパパはさすがだ。

「えぇ?残念だなあ。せっかく楽しみにしていたのに。いや、でも仕方ないよね、君病気なんだから。」
「でも、来週は普通にレッスンできるし、その時にまた振り替えレッスンのはなしをするから。」

「う~ん、そうね。でもさ、まずは来週は健康にならないとな。話はそれからよ。じゃあ、今日は残念だったけど、来週は、僕が連れて行くからね。また久しぶりに会えるよ。」

アタシはお友達か!!!

背後では、まるで大道具が移動しているような雑音。人々の声。
撮影か?

___________

実は、私はそれ以来、そわそわしている。

ヤバイ。
俳優が来るのかあ。
こんな風邪の後のお肌じゃ、話にならないよな。
とか、今度の金曜日は何を着ていこうかな、ルンルン!
とか…。

バカじゃないか?

アタシは有名人に興奮している、ただのオバサンだわ。

でもね、それとは別に、有名人とはやっぱりオーラがある。
ものすごいオーラを発している。

やっぱり、筋金入りの俳優ってのは、すごいと思った。

先週、TVで、彼の古い2005年の映画ガ放映された。
見たよ、もちろん!!!

なんか、ラブシーンとかあって、アタシはかなりうなった。
これで、自意識過剰に拍車がかかるだろう。

来週再会して、アタシは緊張と自意識過剰のあまり、卒倒するかもしれない。
でなければ、とんでもないおばか発言をして、恥をかくだろう。

まあ、彼はまた彼のダンディズムで、私を芝居小屋的にフォローしてくれて、私はまたそれにシビレルンダロウ。

怖いぞ、有名人。
by momidori | 2008-06-24 19:33 | 日常
取りあえず写真とオスタルジー
この間の木曜日、コンサートを終えた息子と二人で、お気に入りのイタリアレストランへ。
他の子供達は、肉サンドらしき簡易食を私に渡されたのだから気の毒だが、やはり三人子供がいても、一人一人と対応するチャンスをもってやらないと、この年齢になってくると、特にダメだと実感する。もう三人一緒に公園に放し飼いにして終わりというわけには行かない。
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でも、この後も、疲れていたのか何にも食べないといったり、おなかが空いていないけど、デザートは欲しいとか。
私は前菜もワインもたんまり楽しみましたけど。

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この間、お天気がいいとき、息子を迎えに行ったら、おっさん達が修復工事をしていた。
まあこんなもの、東ベルリンなら、未だにいたるところで見えるわけだけど、やはり太陽のせいか、この光のコントラストはすごい。
こうして、左に見える煤けた建物が、右のように真っ白に塗り替えられてしまう。
二十年近い歳月が経ったが、まだあちらこちらに修復の済んでいない建物が存在する。
これが、いつの日かすべて修復されてしまったら、もうDDRの面影は、道しるべの標識と石畳にしかないよなあと思ったりする。

これぞオスタルギー(ノスタルジーのドイツ語、ノスタルギーを東ドイツの「東」にあたるオストという言葉と合成させてもじった。旧東を懐かしむ心)だよなあと思う。
未だに官庁などに残る、信じられない60年代、70年代の椅子や家具。
こうした建物の中庭に見える、まったく修復されていない灰色な空間。
時々目にする、東ドイツレーベルの日常品。
DDR時代の書類、身分証明書、薬局の古いビン、70年代の食器類、軍隊の備品など、そういったものは、何も蚤の市に行かなくても、目にすることはある。
そうすると、自分もなぜか、ジンとするのは不思議だ。

ノスタルジーとは、なんというか文化を超えて五感を刺激する類のものか。
やはり情感と深くつながった、感性に近いものなんだと思う。
理屈じゃない、懐かしいってヤツ。

そういうわけで、今日は生徒が二人、午前中は翻訳で、相変わらず忙しいのだが、息子その1が、誕生会に呼ばれているので、送り迎えがある。
息子その2は、授業中に新しく買ってもらった携帯を付けたのが見つかり、とりあげをくらったので、親に取りに来てくださいと言われた。
相変わらずのバカさ加減だ。
で、取りに行かねばならない、というか恥をかきに行く。
by momidori | 2008-06-04 08:14 | 日常
支離滅裂
土曜日、すばらしい天気で、30度を超えた。今年初めて。これからは暑い日が続きそう。
嬉しい…。

夫のパートナー一家のガーデンパーティーに呼ばれた。
毎年やるのだが、今年は夫なしでキッズとともに。

朝からサラダをつくったり、お肉を買ったりして万全にして出発。
楽しかった。
お酒もほどほどに、太陽も存分に楽しんで。

でもそれよりも何よりも、一番楽しかったのは、いろいろな人と交流を持ったことかな。
知っている人も何人もいたけど、ちょっと知っているとか、見たことがあるだけの人達と、一人一人お話ができたのは良かった。

子供達も、いつものごとく、最初の一時間ぐずりぎみだけど、後は楽しく他の子供達と遊んでくれたし。夜十一時ごろまで遊んでしまった。

で、帰宅して本当は大満足のはずなんだけど、そういうわけでもない。
眠くて死にそうなのに寝付きたくない。

心が悶々としてしまう。
こんなにすべてうまく行っているのに。
こんなに人生順調なのに。

___________

最近、ちょっとプライベートがごちゃごちゃになっている。
私自身、本当にいいのか、と思うほど順風漫歩で、仕事でも全然嫌な体験が無い。自分に無理のあることをしていないから、それも当然なのだけど。

ちょっとどうして良いかわかんない感じになって、困っている。
どんなことがあっても、いちいちぐらつくような娘じゃあないだろう、と思うし、実際、ババアであるのだけど、ババアでも怯えることはあるのだ。

私も自分勝手だなあと思う。
でも相手も自分勝手なわけだし。

コミュニケーションなんて、一生懸命になったほうがこんがらがる。
コミュニケーションを風に任せたら、すべてがうまく行っているんだけどなあ。
そうしたら、なんだか希薄なのか、順調なのかわからなくなったり。

まあ、夫とはうまく行っているのだ。少なくとも、個人の範囲ではうまく行っている。


でも、今のもの全部偽物のような気もしてきたり。
自分すらだれなんだよ、おまえ?
と問いただしたくなったり。

なんだか、私の周囲も、私の中身も結構騒がしくなってしまった。

私に原因があるという風にも思えないけど、私がちょっと新しいスタートを切ったのかなと言う感じはしないでもない。

ババアだから、何が来ても驚かないし、何を失っても、何が転がり込んできても、それなりに対応していける。
そういう恐怖心のない自分の図太さにもびっくりするけど、それも自信の無い娘時代に比べれば、ずいぶん実を作ってきた結果だと思えばいいんじゃない?と開き直ってしまう。

抽象的だあ。

____________

話し変わって、この間の浮気後の離婚相談の知人の感覚をとっても疑問に思ってしまって以来、やはりここは日本とは違うのかなという感覚をちょっと取り戻した気もする。
私には、どこが日本と違いますか、といわれても、そういうことを新鮮に答えられなくなっているのと、自分の感覚がどこに位置しているのかわからなくなってしまっているという、ある種の鈍感さがある。
日本、ドイツという風にもう考えられないというか。

この間、職場でこの仕事できないと断ったら、夕食に招待するからうけてよお!と猫なで声を出された。
こんなこと、まじめに受け取ったら、はっきり言って恥じでしょう。
こんな会話は、いたるところにちりばめられているので、しゃーねーなあ、って請け負い、「早くおごってよね」ぐらい、次回に催促しておけば良い。こっちから何かお願いするときに、仮のあるやつに頼めばいいし。
別の職場で、電話の着信あったけど、あんたあたしに電話した?急な用件なの?って聞けば、いいやあ、してないなあ。他の人もしてないってさ。誰か君の声が聞きたかった人が掛けたんじゃない?
「ああ、そう、じゃあいいんだけど、またね。」
こんなもんである。いちいちそんなことをまじめに取っていたら、どんな女もたちまち恥をかく。
大体、そんなこと聞きのがすぐらい、平気な顔で言われるから、注意してないと、実際聞き逃すし、何?って聞き返しても、もう同じことは言ってくれない。要は、まあ会話の流れに挟まっている潤滑形容詞。暇つぶし。そんなもんだ。

そうだ、まだあった。
プリペイド携帯電話を契約に変更しようと思って店に行ったら、若いにーちゃんが、超不機嫌な顔しているから、超不機嫌に用件を言ったら、気に入られた。変更してあげないとか、パスポート見て、日本はいいなあ、どんなところとか言い出した。
ああ、今日暑いし、コイツ一日中暇だったんだろうなあ、と、ニマニマして、ババアは「無駄話してないで早くしてチョーダイ」と兄ちゃんを催促した。

以前は、そういうことがあっても耳にも入らなかった。
でも、最近、この間私の道徳価値観が、どうもずれていると実感して以来、なぜか耳に入る。

ああ、こういうことは日本ではあんまりないよな。

ああ、こういう風に答えたら、おばさんに、あなた!何を言ってるの!っていわれそうだな。

などと、様々な場面で反芻してしまった。

ところが!
こういう会話、結構元気が出る。
うししっ、馬鹿言ってんじゃないよ!あんた暇人!と思いながら、そういうちょっと悪い遊び心を込めながら会話をしていると、これは日本ではいただけないコミュニケーションパワーだと実感。

ドイツ語で言うと、flirtenとなる。英語でもflirt。
日本語にすると、超気まずい。いちゃつくとか、べたべたするとか。
でも全然そんな言葉ではない。ちょっと色目を使ったり、ちょっとなれなれしくするだけでも、この言葉を使える。

こんなのが、男女の会話にはもう盛り込まれづくし。

さすがに、ロマンチックラブの歴史あるヨーロッパ。
さすが、狩猟民族、ヨーロッパだなあと、ひそかに感心している。
こんなことは、なかなか農耕民族にはできるもんじゃありませんよ。

すぐ不道徳になっちゃうしね。
なんだってはしたないとかね。
セクハラとか、モラハラとか、なんだかいろいろこんがらがりそうだ。

でもこちらにいると、こういうことからエネルギーをもらえることがとっても多い。
パリほどじゃあないけど、ババアから、ベルリン男性陣に感謝である。
あたしも、一応生物学上は女に見えるのか、という確認作業になる。
この年になると、それがありがたいじゃないですか。

_________

さっき、私は恥ずかしいが、読売の「小町」で、健康相談を覗いた。何しろ、偏頭痛がひどくて、更年期かしら、薬の取り過ぎかしら、肩こりかしらと悩んでいたのだ。
でいろいろ情報を集め、結構役に立ちますね。

で、暇つぶしに、恋愛、結婚相談もついでに開いて、すっごくショックを受けた。

恐い!女って恐い!時々おじさんも恐い!
もう凄いのね、いろんなこと平気で言っているのね。

あなた知っていますか?
知っててやっているの?
相手のこと考えたことあるわけ?
結局、自慢じゃない?
言って欲しいなら言ってあげます。

とか、とか、とか…。

もう好き勝手いえるのね、あそこ。
私は、恐怖で死にそうになって、今までそういう掲示板とか全然行かなかったので、かなりショックを受けています。
その言い方もそうなんだけど、さらに、相談する人も、何でこんな掲示板で相談するのさあ、と思ってしまうけど、もっと恐いのは、彼らのモラル観念。

あたしには、わからんことです。
あそこじゃあたしなんか、もうとんでもない勝手な女で、踏み殺してやれば良いとか書かれそうですね。

いやあ、鳥肌が立ちました。

社会学的に見れば(全然社会学的ではないが)
危ない質問、特に恋愛で問題ありありだけど、好きとか、そういう危ない質問を投げかけると、最初のコメントが「叩き」だと、大体3,40は叩きが続く。
新しい視点を入れてきた人がいたら、その人の考えは、大体二、三個後のコメントで、誰かにアダプトされて、また繰り返される。
で、突然「必ず」慈悲に満ちた、情に訴えかける、肯定派が入る。愛しているのだから立派、とか、そこまでやれる人はいないとか。
で、肯定派が、3,40とまでは行かないのだが、3、4個続く。

で、安心してトピックを立てた質問者が、続きとか、その後の情報などを提供すると、たたきはが、揚げ足取り的に、更にエスカレートして叩く。

トピック主は、揚げ足取りの一文一文に、丁寧に答えたりしている。

最後には、あなた、私のコメントにだけ反応して、反論しているけど、他のかたがたにお礼は言ったんですか?

なんてものあって、あたしはもうのけぞった。

お礼ねえ。お礼って言えばいいってもんじゃないし、掲示板にいちいちお礼かいてたら、百回お礼だろうが。

なんじゃこりゃ。

私は、ドイツで法律フォーラム、ソフトウェアフォーラムの二つは激しくチェックしている方だ。
まず、マイクロソフトのフォーラムは必ず、トラブルがあるたびにチェックする。
PC誌のフォーラムも然り。質問も立てる。
法律は、交通法で、やばかった時の罰金を知りたかったり、昔はビザ関係で、かなり質問を立てた。

けれど、お礼ねえ。必要な情報を教えてくれたら、
ああ、ありがとう、そうだったのか、こうだと思っていました。程度。

皆様、コメントありがとうございました。
というのは見たことが無い。

日本の、形式をはずせないところは本当に恐ろしい。
結局、知らない人は、じゃあどうやって身を守ればいいのかね。

そういえば、オペラで前の人が前かがみになってみるのは、マナー違反だというので、熱い議論が交わされていた。

はあ??????
マナー違反だったんですか、日本では?

そういうの、あたしは知らない。
ところが、掲示板では、知らなかったなんて非常識極まりない。
劇場初心者は来るなとか、そんな人にオペラを見る資格は無いとか、謝って当然、夫婦で謝れとか、それをわからない夫なんか、今から別れろとか、もう信じられない内容になっていて、これ読売かよ!!
と、あたしは日本のモラルに縮み上がった。

ちなみに、前かがみになってみている人がいても、多少はしょうがないと思っているけど。みんな大人だし、みんな個人の範囲で、どうしても嫌ならちょっと目立たないように言えばいいし、適当にしばらく待てばいいし。
それは個人の範囲で判断すればいいじゃん。
何で、会場のマナーになって、紙に書かれたり、放送されたりするんだよ。
そんなシャチコバッテオペラ見ないでくれって言いたくなる。
携帯電話じゃあるまいしね。

ちなみにドイツでは、コンサートの始まる前に、多くのホールで携帯電話の呼び出し音が三回なります。それが消せよ!ってこと。それ以外、マナーなんて、当然しゃべらないとか、音を立てない以外、考えたことも無いけど。
スコアを読まれるのもいやという人がいて、そんな許容範囲の狭さで、全体のマナーにしようったって、それは個人の自由の侵害ってことで、絶対通らないよな、こちらでは。

でも、そういう意見を言うと、私もNewYorkで聞いたとか、ウィーンにも聴きに行っているという人が出てきて、おしかりを受けるのが決まりらしい。

現に、私は欧州在住音楽家というハンドルネームの人が、そんな決まりは聞いたこと無いとコメントしたら、ヨーロッパ人って、そんなにマナーないなんてショックだという意見があって、これまた度肝を抜いた。

日本が理解できない。

でも果たして、これは日本とドイツの差なのか、それともテメーの頭で物を考えている人と、そうでない人との差なのかなあと思ってみたりもする。

ああ、口が悪いわアタシ。

アタシはああいうところにはもう行きたくない。見たくない、
不思議と、健康相談は良いのになあ。

なんで、恋愛とか夫婦になると、人はこう厳しいのかね????

最後には、結局人間の行動言動って、コンプレックスなのかなあと思ってしまったりする。

社会学者ニコラス・ルーマンが言うように、自分への賞賛、権力への欲求、さらに愛が最重要で、原動力なのかなあと思ったりする。

掲示板社会学を作って欲しい。
あれは、凄いことがおきてますよ。
実際、危ないって、ああいう外野のあり方は。

本当に、個人が個人でいられないのかなあと怒りを覚えつつ、思ったりする。

で、自分の感覚が、やっぱり日本の美徳感覚とはそうとうずれているなあと思ったりする。



で、アタシのプライベートなんか、小町に書いたら、今頃800件の叩きにあっているだろうなあ。

でも、アタシは自分をちっとも悪いと思っていないし、何があっても、結局あたしのやりたいようにしかならないわけだしと、割り切っている。
勝手だ。

しかし、これもサバイバルの方法。

なんというか、人生、いろいろあるもんだ。

もう終わったかと思ったけど、全然静まらない、私の人生。



凄いよな。人生って。

まったく疲れを知らずに、否応なしにめぐっていくんだから。


疲れている暇も無い。



P.S.
そういえば、イタリアデリの親父と諍いを持った。
だって、あれはまずいよ親父。
あたしは客なんだからさあ。

最近のアタシ、ちょっとおかしいのかなあ。
ちょっとパワーが過ぎているが、もう止まらないどうしよう。
by momidori | 2008-06-02 08:25 | 巡る思考
週末はけだるく…
今週末も素晴らしい天気だった。

金曜日、稽古が終わって帰宅と同時にビールを開けて飲む。
うまい。
チリコンカルネ見たいな、ジャンクな物を作って、サラダモリモリにして食す。

うまかった。ビールに合った。

夜になってから、娘の友人が泊まりに来たいと言う。
なぜかこの子の家に、娘が泊まりに行ったことがない。
理由を聞けば、親が出て行けといっているらしい。なんか家庭の事情が複雑なようで。

面倒くさいが、引き下がらない。
夕食も取ったあとで、朝食も自分達でやるならいいということにする。
親が電話口に出てきて、こういうことなのでお願いしますぐらい言えばいいのに、あの親じゃあしないだろうな。
いつもうちに来る。ダメダメと言う十回のうち2回ぐらいは泊める羽目になる。
娘の機嫌がよくなるので、仕方なくどうぞと言ってしまうこともある。

でも、アタシは何にもしない。
いちいち友達が来るからって、夕食作り直したり、朝食会に走ったりするかっていうの。


というか、娘の友人選びはしないつもりだが、親が親だから、娘も娘だといいたくなることはある。
次の日、私はコーヒーを飲んで、息子達と朝食を済ませたが、彼らはどうせ昼まで寝ているんだし。
さっさと私は息子二人をパパの家に届けて、一人で公園に行きましたよ。

本三冊
プレイド
ミネラルウォーター
を持って…。

太陽の下に寝転がること30分。
殆ど裸の男女に囲まれつつ、一人で転寝。

娘とその友人にたたき起こされて仰天。
憎らしい。
腹が減ったというので、私も小腹が好いているのを良いことに、昼食を食べさせる。

この年頃の姉ちゃん達と話すのは、面白いこともあるが、一時間もすれば、馬鹿馬鹿しくなってくる。
おまけに、奢ってやったのに、ありがとうをまともにいえないこの娘。ずうずうしい性格ではない。
ことごとく、常識のない親の基に育っているのだ。

母親はDDR出身。島も私が足を踏み入れることのないブランデンブルグ州出身。
会ったことは何回もあるが、なんというか、利益をさがしているが、与えることを知らぬといった感じである。共産圏で育った生い立ちに関して、関連付けられないこともないが、それは面倒くさい話題なので打ち切り。

こんな娘になるなよ、オマエ!!

そう言い聞かせたいが、友人の悪口を言うと、激怒するのでほうっておく。
君がバカじゃなければ、いつかわかるだろうよ。

_____________

友人が去ってから、娘と彼女の洋服を買いに行ってやる。
確かにあまり買い物してやらなかったし。
でも、欲しいというものを全然買ってやりたくない。
なんでこんなもの!!
というのばかり手に取る。
しかし、仕方なかろう。いくつかは購入してやる。
どさくさにまぎれて私も購入。

いらない安物を幾つも買った。
後悔…。

___________

昨日も、素晴らしい天気。
息子達と合流するために、近くの蚤の市へ行く。

蚤の市へ行くのにでかいカメラ持参は嫌で、携帯のカメラで撮影。
案の定、全然好くないが、蚤の市は満員御礼繁盛です。
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三冊購入。全部1,50ユーロ。これならアマゾンのマーケットプレイスより安いじゃん。
っていうか、今更こんなものかって読むのか?って気もするけどいいのだ。
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購入後は、蚤の市内のビーチへ。
へへへ…、ビーチといったって、砂が敷き詰めてあり、そこに寝椅子が並べてあり、ビールとソーセージが買えるようになっていて、一応DJがいて、けだるい音楽を流し続け、みんながでれでれと筋肉を萎えさせるところというだけの話。
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さすがに、いい写真全然ありませんが、雰囲気まで。

けだるかったなあ。
もう瞑想状態に入りそうな、かなりドラッグ風な音楽がかかっていて、この皆さんの様子を見ていたら、もう一杯くれ!ってことになってしまった。

私はこの後、また別の行きつけのイタリアンに行って、冷たいロゼを注文し、けだるい午後を過ごした。

夜は、息子たちと私の前夫ことパパがわたしの家に来て、イタリアから持ってきてくれた惣菜で飯を作ってくださった。
ありがたや。

こういうことね、あの頃やってくれていたらねえ、あなたこういうことにもならなかったかもしれないわねえ。

とは言わないが、それにしても素晴らしい関係を築けてよかったと思っている。
子供達の幸福そうな顔が本当に普段の十倍ぐらいになるのだ。

これも、別居後七年経ってからの賜物。
本当に友人として、ものすごく親密になって、色々とまたあって話したり、食べたり飲んだりできるようになったのは、この正月あたりからなんですから。
大切にしないといけません。

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嬉しそうな猿二匹。

彼らは、Alohaとか何とかいう、摩訶不思議なドリンクを飲んでいました。
ベルリンのこのノリって、時々摩訶不思議なんだよなあ。

そういう週末で、寛げたけれど、今日からまたレッスン。
今週はかなり忙しい。
それなのに天気が悪い。
機嫌も悪い。

夫からさすがに催促があって電話で話したが、なんだか尻切れトンボでイライラした。
自分の気が向かない時は、心が乗ってないときは、あんまり電話なんかしないほうがいいのだ。
しかし、二週間タクトの電話というのも、かなりのディスタンスですよねえ。
私は、でも電話嫌いなので、電話ではなく、メールで通信している方がずっと気楽。

機嫌悪くなったけど…
頑張ろう。
by momidori | 2008-05-26 20:27 | Outdoor
Wannsee
先日の日曜日、お天気が良かったので、Wannseeへ行ってきました。
そのときの写真をちょっと記念に。
カメラを買ったし、せっかくの一眼レフです。
初心者の私ですが、カメラにずいぶんと助けられている感じ。
レンズがキットレンズのなので、もちろんこれで練習ですが、ズーム感にはちょっと欠ける。
でも十分以上です。私にはできすぎのカメラで、ちょっと使いこなせていません。

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緑の中をお散歩して、昼食の場所へと向かう。本当に目を見張るような緑。

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お目目が敏感な真ん中の猿は、サングラスなしでは、ちょっと目を開けられないようなまぶしさ。それにしても、素晴らしい雲。

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お昼を取ったNikolaskoehのテラスから見た絶景。Wannseeの南端にあたるところで、ベルリンからだとSバーンでWannseeまで行き、その後Pfaueninsel方面の小道に右に入ります。Glinickeのほうまでは行きません。

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素晴らしいお天気と景色、ご機嫌な家族とはちょっとはなれたところにいる、思春期真っ只中の娘。無口です。考え事をしているのでしょうか。
しかし、この後御飯をいただいて、どんどん元気が出てきました。
あまりの楽しさに、ステイクールもどっかへ吹っ飛んだんじゃないでしょうか。とても良いことです。

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末猿は、イタリア人でも日本人でもありません。立派なドイツ魂を持ち合わせた男です。
その証拠に、色々あるキッズメニューを無視して、「赤キャベツと林檎の煮込みとジャガイモにちょっとソースをかけて。」と注文しなさりました。これ以上ドイツ的な子供ってはありえないよな。

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食後は湖沿いの道まで降りてきました。

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太陽がかげるとでもとても寒かった。20度行ったのかしら。雲行きもちょっと怪しかったり。

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サイクリング道にもなっています。すごい緑だ。目が痛いほどだ。

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すぐそこまで歩いて、このでかいイカダのようなものに乗って、向こうに見えるPfaueninselに行きます。何でもヴィルヘルム二世が狩猟のためにおもちゃのような城を作らせ、夏の避暑地にもしていた島で、今では名前の通り、孔雀が放し飼いになっているんだそうです。

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島の内部は、すぐにメルヘンのような光景が続きます。
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途中で、ハリネズミちゃんの死骸を発見。神妙に見入る猿二匹。だって、都会じゃこんなものは見れないし。

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突然現れた屋敷。夕日が反射して美しい。でも空き家でした。当時のままだと思われる窓のガラスも一部壊れたりしていて、これから修復になるのでしょうか。

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キッズはその後キャッチボール。
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と、そこへ孔雀が現れて、どんどん近づくけど、結局羽は開いてくれなかった。残念。

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しばらくして今度はメスの孔雀嬢が現れました。

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疲れたので島の突端に行くと、夕日が後光のように差し込んでいて、それは美しかった。
こんなに美しい思い出を作れたのが、なんだか逆に悲しくなるほど、その夕日は特別でした。

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最後に、記念写真でも撮ろうかということになったけど、お腹もいっぱい食べちゃったし、なんだか醜い痴態をさらすのは嫌だよねと、ながーい影を撮影。
もう七時ごろです。八時には太陽は沈むのかな?
そろそろお家へ帰りたくなってきました。

本当に自然に触れて、家族らしいことができて良かった。
帰路の車の中で、子供たち三人、娘さえも楽しそうにみんなで合唱しているんですよ。

そんなこと何年もなかったのよね。
そんな時間、何年も取れなかった。

今回は、1日だけ素晴らしい家族の思い出を作ろうという約束だった。
それで、三ヶ月耐えられるような、素晴らしい思い出を。
だけど、それがこんなにうまくいくなんて、本当に嬉しかった。
私が嬉しいのは、子供達が本当に心の底から安心して、私たちの間を行ったりきたりしながら、ゲームもテレビも忘れて遊んだということ。
思春期の娘が、ちょっと子供に帰って、お歌を歌うほど楽しんだということ。

早くまたR(あたしの夫)が帰ってこないかなあ。
そうしたら楽しいことできるのになあ。

息子二人は絶対にまたこう思っているに違いない。
ステップファミリーだし、色々と難しい側面もないわけじゃない。
でも、時間が家族を作っていくし、何より時間のみが、人間関係に変化を与え歴史を作り絆を深めてくれる。
一緒にいるというだけで、本当に意義のあることなんだと思う。
そう思うと、本当に一緒にいたいのに、なぜこんな生活をするのかなあと、また悲しくなる。
でも、1日1日、自分の生活を規律正しく過ごすことだけが、心の支えになる。
その中で、思い出の占める割合は大きい。

思えば、一分間に十秒以上、楽しかった時間を考えて過ごしているのではないかしら。

今からは、また次の楽しみを成就させるよう一生懸命今を生きるのみ。
by momidori | 2008-05-08 06:57 | Outdoor
みじめ
今朝起きて、七時に息子を見送って、七時半ごろ末っ子と娘を見送ろうと思ったら、息子から電話。
市電が突然走っていないそうです。

予告なしのスト。
バスや地下鉄は走っているというけど、市電はダメ。

戻っておいでと言い聞かせ、ネットを開こうと思ったが、LANケーブルでもWLANでもつながらない。
家の電話配線分配器の調子が悪いに決まっている。
こういう時に、市電のHPを見られないのは困る。
予告なしなので、テレテキストのニュースにも載っていないし。

とりあえず、戻って来た息子と末っ子を連れてくるまで出発。
小学校、ギムナジウムを回って帰宅。

娘を送り出せなかたのがちょっと後悔した。

どうもお腹がいたい。寒気がする。
しかしネットにつながらないのは困る。
一時間、あれこれ試行した結果、SP2をアンインストール。
こんなセキュリティーアップデート作るなよ。
正式にMSからダウンロードしたのに。というか半ばさせられたのにね。

一時つながったけど、突然切れる。
分配器を見に行くと、なんかランプがちらついたり消えたり。
この機械、偉く高いのに、本当に信用が置けない。
でも、もうIPアドレスも変更しちゃってあるので、昔の状態に戻すのも一苦労だし、昔の機会はさっさと屋根裏にしまっちゃったし、仕方ないので、コンセントを出し入れして繋げる。

あんまり寒いし、具合が良くないので、ベッドに。
読書をする気力もない。
ただ寝そべっている。

仕事に行く時間だし、そろそろ用意をと思って、シャワーに行ったら、お湯が超なまぬるい。
家中のお湯を検査したが、全部生ぬるい。
外の道路工事の音がやかましくって、なんだかアイツラがお湯を出なくしたのか、とイライラしだす。
どっち道集合住宅だから、私が管理しなくてもいいけど、治るまで時間かかる。
風邪引きそうに具合悪いのに、生暖かい水でシャワー。

外は雨、寒い。
今日は、全然稽古したくないなあ。

着替えて準備したら疲れきった。

そう言えば、もう十日も夫と話していないよなあと思った。
私も電話する気も無かったけど、向こうも向こうで、全然そういう必要は無いらしい。
なんというか、昨日も書いたけど、思い立ったとか、声が聞きたいとか、そういう衝動というのに自分が遭遇することは無いらしい。

私だけが、メールも電話も手紙もスカイプも、アクションするばかりなので、感情無視事件以来、全然知らない顔をして来たら、メールでちょっと気持ちを表しているぐらいだったけど、電話とかそういう必要は相変わらず無いみたい。

全然私のほうは、話すこともないし、今声を聞きたいかといえば、返って面倒くさいけど、この状況になんだか頭にくる。

機嫌が悪いんだな。でも当たり前でしょう。
こんな日って本当にいやだ。
明日もおけいこ。
いやだいやだ。

もう苦痛だあ。
by momidori | 2008-04-10 20:32 | 日常
大掃除とストライキ
昨日、飛行場から帰ってきた私は何をしたか。

それはもう大掃除。

それだけでなく、模様替えまでした。
どこか心の中で、彼が出て行ったら、彼のいた跡形をできるだけ消してしまう。
私の城を作って、心地よくして、できるだけ彼がいるべき生活というものを考えないようにしたい。
そんな思いがあったんだろうと思う。

窓辺にあったソファを本棚の前に移動。
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窓辺に座って新聞を読んだり、Notebookをいじっていたりした夫の姿は焼きついている。
だから、その跡形を消去したかった。

寝室のブラインドを寝る前に閉めるのは、いつも夫だった。
私はこのブラインドが嫌いだったけど、取り外すのもすごく面倒なタイプ。
夫がいなくなったのをいいことに、去年の春、パリで買ってきたベルサイユ宮殿時代のフランスの典型的なテキスタイルを貼り付けてみた。
本物のアンティークなので、洗い古して木地が薄くなっており、とてもいい感じに透けてくれる。
日中は結んでしまえばいい。
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窓辺には、本を読んだり、手紙を書いたりして、日中の光をあびることが出来るスペースを設けた。
日常を規則正しくすることが、どれだけ心を支えてくれるか。
ちょっとした生活の堕落が、心をすぐに不安定にする。
手紙を書く日、掃除をする日、お茶を飲む時間。
そういうのをしっかり決めることで、心はとても救われる。
私はそう信じている。
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昨日、息子が帰ってきて、明日からストライキだという。
嘘だろう。
先月の初めも、3日間市電がストをした。
急いでHPを見ると、アクセスできない。
これは異常事態だと思って、地元新聞のサイトをみる。

今日から、来週の金曜日まで、なんと十日間のストに入るらしい。
郊外と市内を繋ぐ電車は動いているが、地下鉄と市電、バスが全滅だ。
緊急路線が、一応30分ごとに動いているというが、息子の使っている市電は、街中を横断しているので、緊急路線に入っていない。
自転車にしては遠い。
送っていくしかない。怒りがわく。

特定した機関の雇用者の給料がわるいのは承知だが、ここまで利用者市民に被害を被らせていいと思っているのか。Ver.diというのは雇用者の巨大組合だが、最近、DB(鉄道)のストを始め、病院、ゴミ回収車、保育所、市電、などあらゆるサービス提供機関がドイツ中いたるところでストをしている。Ver.diは、かなりアグレッシブで、2001年に五つの雇用者組合が合併して出来た。巨大化したので威力も増す。ストをどんどんすることで、雇用条件を改善するという方針がすごくアグレッシブだと思う。
現に、ディスカウントスーパーマーケットなどの、劣悪な雇用条件をコントロール・改善して来たという実績もあるが、今回のはまったく困った問題だ。

昨日は、フランクフルトの飛行場もストで、ルフトハンザは190便以上キャンセルしたらしい。

六時に起床。
外を見ると、吐き気。
凍り付いている。
車の窓ガラスが、この冬初めて凍っている。
子供達を起こして、朝食をしている頃は、吹雪。
参った。

末っ子は、一人で出て行くことができないので、七時に私と長男君と出発。
娘は徒歩登校なので、ありがたい。30分後にでなさいと命令して学校へ。
家からすぐの市内幹線道路にでたら、七時十分の時点で、渋滞。
200メートル先を左折で小学校だが、かなりかかった。
末っ子は、早朝の託児部へ置いて、長男をしないまで送迎。

雪なんで走りにくいが、吹雪は収まったもよう。
せっかく持ち歩いているNokia君で、写真を撮ってみるが、なにせ車中からなので、良いショットがあるわけない。
とりあえず、日常の記録。
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あんまり見えないけど、どこもかしこも、車がつまっている。
帰宅して聞いたニュースでは、ベルリン南部、市内につながる高速道路で、30台以上のカランボラージュ(団子型追突?バカ!玉突き衝突っていうんじゃないか?)事故が起きたらしい。
まったく、まったく、この道路じゃあそうだろう。

途中、寂しげな「立ち食いアジアンコーナー」を発見!
アタシは、その辺を歩いていると、きっとこういう店のフライパンおばちゃんだと思われているにちがいない。何でも良いけど、この店は寂しすぎる。
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明日もあさっても、私は子供を送り迎えしなくてはならない。
木金は仕事だし、一体どうしよう。

もうほんとに、ストには頭にくる。
何とかして欲しい。
早く、給料を要求額250ユーロ上げてやりたまえ。
by momidori | 2008-03-05 18:34 | 日常