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初恋の男に惚れ直す
今、朝3時半。金曜日には、ぶっ倒れるまで夜更かしをしたいではないか。

まったくブログに向かう時間がない。
もちろん、つまらぬ仕事に追われているのも事実だし、やりたくない家事にも追われている。

しかし、精神的には満足しており、やはり別居することで、空間、スペース、空気、呼吸、そんなものが全部確保できるのだなと実感する。
したいようにできる贅沢は、勝手と背中合わせだなと思う。
その辺を心得ておかないと、自分自分と叫び続けることが、空虚な結果しか呼び起こさないなんてことにもなりかねない。

ところで、何で時間が無いのか。
ここ一週間、すさまじい生活をしているのだ。

なぜかはわからない。突然始まってしまった。

私の読書時間は、ぐんと増えた。色々な本を並行して読むほど時間も作れる。
大体、寝る前と、起きて子供を送りだしたあと、仕事に行く前だ。

しかし、今の私はその読書にも飽きたのか、コンピューター三昧になってしまったのだ。

何週間か前、娘の本棚を整理していたら、ドイツ語の「電車男」が出てきた。
彼女は、つまらない話と言ってたが、私は、電車男のドイツ語版を数ページ読んで、ドラマをを見たくなった。
Youtubeに行ったら、すぐに見れた。一日で、全ドラマを見たのだ。
というか、一晩でである。明け方4時になたのは、いうまでもない。しかし、たっぷり娯楽させてもらった。
読書三昧の後、こんな馬鹿な楽しみを見つけて、リラックスできるの楽しい。

以前日本のテレビを欧州向けの会社から視聴していた。
あまり見なかったのと、以前の家へ引越して以来、受信不可能となり、日本から遠ざかってしまった。

しかし、この電車男を機に、Youtubeで、昔に返りたくなってしまったのだ。

昔から、このサイトの威力は知っていたものの、興味がなく、何を検索していいものか、それが思い浮かばなかった。利用する時間も無かったので、もっぱら、娘が音楽クリップを見るのを遠めに見ているだけで…。

それが、私は毎晩、子供たちを寝かせた後、こっそりとベッドでYoutubeにアクセスし、色々と見ている。
この間は、懐かしいスネークマンショーを検索して、全部聴いた。懐かしくて、笑いが止まらなかった。
今でも、あの手のジョークには、愛を感じる。

それから、伊武雅刀を検索したり、昔好きだった萩原健一を検索したり、彼の番組を見たりして、結局子供時代を振り返っていたのだ。
年取ったものである。
日本へ帰りたい、そういう帰郷の憧れをYoutubeで満足させていたと言えばいいだろうか。

それにしても、子供のときに、あこがれていた俳優を今見ると、皆私より若いわけである。
自分が大人の目を盛ってしてみると、昔あこがれた俳優が、いっそう光って見れるではないか。
男の真価というものが、だんだんわかる年になってきたのかな、などと想像をめぐらせた。
まあ、他人ということで見ているうちだけであるが…。

萩原健一は、水谷豊と共演した、あのドラマで好きになった。
兄が熱狂的に、この番組のファンで、小学校から帰宅して4時枠のドラマ再放送を兄と共に見ていたものだ。
汗をかいたり、寒かったり、色々な学校帰りの四季の思い出と共に、この4時の日テレのドラマ再放送枠を良く覚えている。

今見ても、彼はある種のカリスマ性があると思う。
それにしても、ダメ男であるが…。

________

伊武氏にしても、今当時の姿を見ると、子供だった当時とは比べ物にならない魅力を感じる。
屈折したユーモアのわかる男は、最高であるが、彼のブラックで洗練されたユーモアは、時として理解の範囲を超えることがあるが、私はそれに着いて行かれる自分のブラック度を誇りに思った。

どうでもいいけど、個性派で、実はインテリで、まっすぐな自分を感じる。

私はそういうまっすぐにつっぱしる男に弱い。
売れる売れないを一切考えずに、コマーシャリズムを軽蔑し、自分を突き通す馬鹿さ加減が好きなのだろう。
もちろん、本質に何かを持っているからそれでもやっていかれるわけであるが…。

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まっすぐと言えば、これ以上まっしぐらな男はいないと言う人が私の初恋の男性である。

その名は、なんだと言われそうに有名。
John Lennonである。
私の古い友人たちは、「でた、またかよ」と言うであろう。
14歳のころから、私は彼を熱狂的に愛し続けてきた。
自分の世界に、実際に男性陣が出現してから、下火になたのは当然だが、彼は私のアニムスである。
私の男性性の魂の投影そのものだと感じる。

で、私は毎夜毎夜、John Lennonのヴィデオだのクリップだの、インタビューだのをYoutubeで見続けていると言うわけだ。

で、4時ぐらいまで見て、六時半に起きて、八時から十時、十一時ごろまで寝ると言うすさまじい、不摂生を続けているこのごろである。

なぜ、突然過去への回帰が始まったのか、私には説明がつかない。

しかし、その感動は、なんら薄れることがない。

歌声にしびれ、歌詞にうなづき、天才性と、その井戸のように深い彼の音楽性に、心を揺り動かされる。
すさまじい才能で、声と曲と歌詞が一致したからこそ良いのであって、曲をカバーしたと単にマジックが失われるのは、Paulの楽曲と違うところだ。
Paulの曲は、誰がリメイク、カバーしても、メロディーラインを十分楽しめる。
しかし、Johnの曲は、メロディーで聴くものではない。
まるでバッハの和声の楽しみにようだが、すべてがキマらないと、聞けたものではないのだ。

乾いた音、Roughな声、繊細な詩、時に、独特の和音進行を見せるメロディー、しばしば重い音質、これらはぜんぜんヒットメーカーの要素ではないが、彼は、ベストセラー作家の怪しさと同様、ヒット曲生み出し続けるような怪しいミュージシャンではない。
ロックは、そんな甘い世界ではないのだ。
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それにしても、彼の本を更に二冊注文してしまった。

ところで、Yokoとの息子、Seanも、33歳である。
地道に音楽活動を続けているが、彼のメロディーには、なんとも言えない味がある。
声も、父親の方が上だし、彼の曲はロックと言う枠にも、ポップと言う枠にも収まらない不思議さがある。

私に言わせれば、全然線が細い。メロディーがアンニュイで、殆どがMollである。さらに、メランコリーな節回しのメロディーは、John譲りではなく、どこかに東洋の血を感じさせる。

話がオタクなるが、西洋の演歌は、健康で、太陽が輝き、笑い声がし、恋人が隣にいて、薔薇の花を捧げるという次元から出ることができない。
失恋しても、美しい思い出を抱えて思い出し、憂う程度のものである。

日本の演歌は、津軽海峡だし、冬景色だし、涙を流しながらセーター編んじゃうし、その情感の深さというか、どろどろしさが違う。

さらに、西洋人が演歌ではなく、ロックポップを作曲すると、ギターから入るという違いなのかどうかわからないが、メロディーから書いているのではないことがわかる。アコードを作って、メロディーを乗せていく。

で、日本人が洋楽を作曲しようとすると、メロディーラインが浮かんでアコードをつける感じがするのだ。実際は、アコードからできることもあるのかもしれないが、できたメロディーは必ず口ずさめる。
西洋のロックは、伴奏とかギターがないと、口ずさめないものも多い。

そういう意味で見ると、Seanの音楽は、演歌ではないが、圧倒的に東洋的要素が本質にあり、メロディーに重心がかかる。それも単調で、コブシがきいたりする。

洋子の音楽に至っては、もっと顕著で、彼女は殆ど、どのメロディーでも、二分音符以上伸ばすところは、必ず、ティラリ~とこぶしをきかす。結構クサイのである…。

私が、かつてピアノに向かってJohnの曲をコピーしたり書き下ろしたりしていたとき、無茶を承知で作曲も試みた。
といっても、15歳かそこいらだ。
しかし、ピアノ相手なので、メロディーばかり出てきて、全然しまりがない。ロックが書けない。
Johnのクリップを見ると、彼は、ギター若しくはピアノで作曲するとき、アコードしか伴奏しないのである。
私なんか、アコード進行をバラバラ弾くテクニックがないので、ひたすらぴろぴろとクラシック風の伴奏になり、できた曲は、まったくつまらない歌謡曲に毛の生えた、女々しいロックバラードの出来損ないになるのだ。

だから、なんで洋子の曲が、永遠に冴えないのか理解できる。
その血をSeanは引いていると実感するのだ。

しかし、彼は、どうも計り知れないほどインテリであるというイメージがある。各曲が、深い。なんといっても、深みが違う。安っぽくない。
それも才能なのだと思う。だから、なんとなくロックしていなくても、思わず聴きたくなってしまう重身という魅力がある。

____________

もう一人の先妻の息子Julianは、ちょっと不幸な感じだ。
才能は、すばらしいし、お父さんと同様の声質なので、歌うと、自動的に惹き付けられてしまう。
しかし、あまりに似すぎていることがマイナスであり、父親の影がまったく背後から消えてくれない。才能は十分であろうが、彼に、破格な魅力は何のかもしれない。

インタビューをきいても、Talk Showを見ても、とにかく暖かくオープンで、嘘のないド正直な良いヤツなのだ。
酒やドラッグに狂った日々があったが、そういう精神的なもろさも、父親のすさまじいエネルギーの影に消えてしまう原因にもなりうる。

運命的に、同じミュージシャンを狙ったとこころが、失敗だったのかもしれない。
しかし、音楽的には、断然父親に近い才能を持っているのは、このJulianの方であろう。

__________

でも、先妻が暴露本を出したり、もちろん悪気はないのだが、今でも愛している風な内容であったり、離婚後40年、死後30年たっているのに、まあしかし、人々は、この一人の天才を話題に、まだやることがあるのか、または金儲けをしているのかと、まったく驚くばかりである。
なんとなく、Julianが引退し、ひっそりとレストランを経営しているのがわかる気がする。

それにしても、先妻は、その後2回結婚し、2回離婚し、その後もパートナーに事欠かないようである。
何が言いたいかといえば、彼女は、愛する人にめぐり合えなかったのか、運命の人にめぐり合えなかったのか、なんにせよ、最初の結婚がすさまじかったため、その後の生活にやはり影響をこうむったようではある。

今でも、愛している風だという文章も、まんざら嘘ではないのであろう。彼女は、心地よい家庭を保っていれば、彼は帰ってきてくれた、ドラッグさえなければ、彼は帰ってきたと未だに信じているような、田舎的ナイーブさ持っていて、それは、まったくJohn を理解していないよなあと、実感せざるを得ないシンプルな女性である。
で、彼女は、ずっとJohnを思い続けたまま今まで来たのであろうと思う。愛というか、執念というか、それは、もうエネルギーとしか呼べない。

一人の女性が、ずっと別れた男を愛し続けて、それが自分の中で消えないエネルギーへと変化していくさまは、ある意味恐ろしい。
恋にはこと欠かない彼女であったが、それはそれでさびしいものよ…。

天才の周りには、話題が尽きないなあと実感。


しかし、私もどうなのであろうか。

過去に帰って、johnを聴いて、もだえたところで、私自身の人生も、かなりめちゃくちゃである。
そういう目を持って再び発見する昔の初恋の人は、違った味わいを見せてくれる。
しかし、やはり彼は私のアイドルに変わりはなく、私も根底は、ロック魂であり、死ぬまで、すったもんだやり続けるのであろう。

でも、Johnは結局二人の女性と長くかかわったわけであるが、先妻は、何人もを通り過ぎている。さびしい人である。

洋子も、すさまじい男性遍歴を経て、Johnの死後も続けてパートナーを作っていたが、彼女は、ちょっと例外であろう。彼女は、所詮影響されないのだ。
彼女が、明らかに人々をマニュプレートする側にいるのである。
これは、悪口でもなんでもない。彼女は、そういう才能をもって生まれてきた人で、そういう才能を必要としている男は、世間にわんさかいるということである。

で、再び私。

私は、マニュプレートしてみたくてうずうずしている。
が、物を計算するということが一切できない馬鹿である。行き当たりばったりしかない。
計算したことを実行する理性もないのである。加減をしつつとか、ここは待った方が、とか、そういう行動が全然できない。
私は感情の奴隷である。その割りに、一人で引きこもると、理性を引き出してきて色々考える。
私が本好きなのは、本を読んで、理論を学んでロジックに支えられないと、思考できない自分がいるからである。
それだけ、私は感情の奴隷なのだ。

結局、マゾそのもの。とても、男をマニュプレートするどころの話ではない。マニュプレートされてしびれる感じである。

そういうわけで、洋子の男遍歴と、先妻の男遍歴とはとても比べられないのだ。

私は、できれば、この先、もう恋もしたくないし、めぐり合いも嫌だなと思う。静かに、今の夫ともめながら、試行錯誤しながら、でも、無事に死ねばいいやと思ったりしている。

しかし、

その後ろで、

愛とは何ぞや…

とつぶやく声が聞こえ、

いっそ、一人にならないと、私は弱いばかり、私はダメになる、私は私を失う…

と私を操る声がするのである。

ほんと、私は自分自身の奴隷だなと思う。


で、今の夫と、静かに死ねば…

なんていう、ロマンチックな現実は、私のシナリオにはないと思うのだ。


結局、さらなるマゾ的破壊衝動に押されて、一人宣言したりするのが今後の運命かなと思う。

かなり自分にぞっとしている。



でも、こうして魂の原点に触ると、私は、私であると実感できる。


クリエイティブに生きないとダメだ。

今の仕事の中で、なにかもっと変えていかないと前進できない。

もっとぶつかっていく生き方をしたい。

そんなことを考えている。

いつまでたっても、終わりのない、馬鹿人生だなあと思う。
しかし、これがロックないき方かもしれないと、殆ど、トチ狂った考えに支えられて自分の生き方を肯定している。


ほんと、実際は、怖いけど…。

自分が信用ならなくて…。



ああ、どうなるのかなあ…。


もう五時。
寝る。

ひどい生活だ。

どうしてこうなったんだろう。
とにかく、ここまで「自分」に浸らないといられない状況なのであろうと思う。
いい加減、自分なんか関心を向けたくないのに、そうはいかないらしい。ナルシストか。

落ち込む。
# by momidori | 2009-06-06 11:43 | Stars!
キラキラ
う~ん、今夜中の一時半。
もう寝ないと。

で、突然近況報告を書きたくなった。
箇条書きにでもして…。

先日、まだ時間に余裕があった水曜日ごろ、二時間もリサーチして見つけた美容院にいってきた。
わたしのお気に入りの美容師が姿をくらましてから、もう二回ほど「そこらへん」の「それでもおしゃれな」美容院に行ったけど、出来上がりは「惨薔薇」君で、はなしにもならなかった。
で、この美容院!
日本人。イケ面。30代。東京出身。

なんと、自宅から徒歩三分。

知らずにすごしていたけど、ほんと目立たないんだよ。
ところが、内装もしゃれていて、客が少ないから、なんか緩やかな時間が流れている。
ま、暇そうなんだが…。

ちょっといじってもらっただけで、ぐ~んとアップしたところが、さすが日本人。
ここは、通ってしまいそうね。

___________

金曜日、夕方、翻訳をそのまま放りコケテ、久しぶりに女友達に会いに、公園まで行った。
彼女、シビア、ハード、禁欲、などの形容詞が浮かぶ女性だが、なにせ、正直、筋が通っている、ミニマリズムな生き方、などなど、魅力的なところもあり、お料理もうまい。
よれよれの男物ラルフローレンのチノとシャツしか着ない、この辺では超変人に属する人なんだが、兄ちゃんの関係で、お古が来るらしい。
何気に似合ってしまう。
デュッセルドルフ出身、アメリカ暮らし長く、演劇学を学んだ渋すぎる夫と、息子二人。で、自身は美大卒。

なんか、飾り物みたいな聞こえだけど、そんな軽やかな一家じゃなくて、なにしろ重厚、厳格、清貧。

だから、わたしは好き。

夫は、この一家に招待されて、厚く議論を交わし、全然趣旨が合わないので、最後は怒り狂っていた。
もう何年も前。
でも、みんな議論好きだから、別に嫌な思い出じゃないけど。

久々だったから、二時間ほどだったけど、楽しかった。
元気をもらい、この界隈の、すさまじい内情を聞き、たまげて、自分は如何に健康かを思い知ることができ、精神衛生上良かったのだ。

また会う約束をして、早々に帰宅。

______________

で、仕事。
かなり消耗している。
やっぱり特許翻訳を専門にしたくないなと思う。

といって、ガイドブックとか、電気製品のマニュアルとか、つまんないお決まりのものを翻訳する気もない。
そういうのは、傲慢だが、そういうのしかできない人がやってくれて良い訳だし。

傲慢というか、仕事にも色々段階があるので、最初から難しいのはできないし、語学に本当に精通する前に翻訳の仕事を始めたって良い訳だし、そういう段階から始めるのが常識だし。

でも、さすがに十年仕事をしていて、もうそういうのはいらないと思う。

だけど、特許はやはり…。

技術の最先端を身近に感じることができる専門家には、たまらない仕事だろうけど、あたしは全然技術屋ではない。
技術・実務翻訳ばかりやっているので、経験は積んでいるけど、やはり特許内容は、一般的教養とか知識とか慣れでどうにか成るものじゃない。

音楽と同じだと実感。

まず、根気。

できね~~、と思う真っ黒けの書類を見ても、一文一文読めばできる。
一語一語攻めれば、用語が見つかる(かも知れない…)。
リサーチにリサーチ、確認に確認を重ね、カタツムリみたいに進む。

とはいえ、電気ものはまだ良い。
工学、建築も何とかなる。

なぜかといえば、物を発明しているので、媒体がまだ物である。

わたしが今苦労しているのは、お化け学。

何を発明したかって、どこまで訳してもわからん。

実験ばっかりして、ちょっと違う反応とか、ちょっと違う合成なんかが、あたしにはチンプンカンプンの範囲で、世の中に役立つっていうことになって、で、その実験をひたすら書いている、という感じの発明だ。

薬剤の名前がば~って。
化学式がずら~って。
日本の高校(そんなもの卒業していただろうか)でも聞いたことがないような、化学用語を独ー場合によっては英ー日と訳すのだが、根気以外の何も必要ない。

物質、成分、溶液、溶出、検出、基なんて、基本の基本という用語も、スパって思い浮かばない。
その違いにいたっては?である。

それを修飾だの置換だのの処理の他、さらに様々なプロセスの名前がずらずら。
そういう用語探しで一日が終わる。

ドイツ語自体は、お決まりだから良い。

しかし、始まった文が、30行ぐらい句読点が付かないことがある。
薬剤がずらっとしたうえ、Praedikat述文というのか?がずらずらつながるので、日本語は、「逆攻め」である。

ずらずらの薬剤名を見ていたら、目がちかちかした。

おまけに、一番嫌なのは、私はCADで働いてばかりいるので、ワードに打ち込むのが大嫌いである。
グロサリーも、自己管理しないとならない。
エクセルとワードを取替えっこでやっている。
すごくジカンがかかるのだ。

さらに、送ってきたPDFは、スキャン物なので、選択コピーとかできない。
長々しい薬剤名も、「手打ち蕎麦」なみに、手打ちする。

死ぬ。

おまけに、そのPDFでスキャンされた原本のフォントが、9ptも行かない。脚注みたいな小ささなのだ!!

目から涙が出た。

で、とうとう、私は老眼鏡を使って仕事をしているのだ。

スーパーで買ったLesebrille(読書メガネ)であるが、これなしでは、現在仕事できない。

そういうわけで、環境が悪い上に、
最初は、内容も目の前真っ暗であったが、各国のWikiに通い、他の特許を読み、資料をさがしていると、付け焼刃で研究者なみの文章が書けるようになった。
その時、絶対「たぶんこの単語はこの用語で良し」という段階でやめないこと。
たぶんはゆるされない。特許は、そういうことを絶対にしてはいけない文書だ。

で、訳しながら、だんだん理解してきて、用語リサーチの方法も変わってくる。それで、もう一度練り直し、確認し、ということをするので、本当に頭が疲れる。

ま、化け学者が翻訳できたら、もうとっくに終わっているのだろう。

そうでなくても、様式にあわせて訳す特許は、慣れたらずいぶんいいのだろうけど、何せ面倒くさい。

それにしちゃ、ほんとうかよ~~というような値段である。
普通、5倍ぐらい高く取れる最高峰の料金なのに、なぜかわたしの仕事は、内容が厳しいわりに、安いじゃん。

不況だって言われて…。
仕事回しますからって言われて…。

あたしはお人よし。

でも、よく考えるが、何で翻訳しているんだろう。
とにかく、翻訳していることが嫌いではない。
のめりこんでしまい、頭の中が今日も化学式でいっぱいで、トリメチルアンモニウムエチル-アクリルアミド なんて名前がきらきらしている。

そういえば、キラル分子ってのもあったなあ。

つまるところ、私は調べ物をしたりすることで、なんとなく「お勉強」させていただいていることが楽しいのだと思う。
通訳もそうだけど、翻訳も、非常に大きな範囲の、ものすごく特殊で深い分野に、断片的にのめりこんでいく。
他にそんな仕事は少ないと思う。

ある通訳者が言っていた。

この新しい下水管修復装置の、このボルトをしめている、この特殊なネジの名前をしっている人間は、これを作ったか、メンテナンスしている人と、私以外誰もいないわ~。

ディープだ。

通訳は大変である。
技術通訳は、結局この用語を頭にぶったたきこんで行うのだが、それは付け焼刃ではできない。
結局、何年も自分が勉強して論文を書いてこないと、そういう用語は叩き込まれないので、学者になっておかしくない人とか、学者たちがそういう仕事をしている。

時事・会議通訳は全然別であるが、技術系は地味だ。


私は、人前に出かけていく通訳より、翻訳の方が好き。
もっと深いし、もっと長くかかわる。
巨大翻訳の場合、なんヶ月もエンジニアになったつもりになれる。
ほんと、世の中色々あるなあと勉強になる。

うちの会社の人たちは、英語フランス語系は殆どエンジニアの翻訳者だが、他の欧州言語の人たちの専門は、中世研究だったり、美術史だったり、近代史だったり、正反対に正統派文系が集まっている。

それでも、何年も勤めた人は、知らない間にエンジニアの知識をつけてしまった。
で、アイポッドで、ウェルディなんかを聞いているらしいので、その変な感じに惹かれる。


結局、


仕事なんて、

そこにあったって感じの機会でしかないのかなあ?

って、それはあたしみたいに無目的に生きてきた人間の吐く言葉…。

本当は、一歩一歩着実に描いた世界に近づく人も多い。

すべてのセミナーや資格が、ことごとく一線上に並んで、役立てていく人。


ああ、あたしなんて、ぜんぜん行き当たりばったり。


たまたま仕事が来て、たまたま、はまってしまって、
たまたま夢中になってたら、それが食いぶちを稼ぐ仕事になって…。


みんなそんなもんだと思ってたけど、どうなんだ~?


もう二時になった。

寝よう。


キラル分子の化学式を★に例えて、キラキラした夢を見たいなあ。


しかし、人が読んだら馬鹿だと思うだろうなあ、この日記。


今、コメントできません。
時間ありません。

許してください!!
# by momidori | 2009-05-25 09:05 | 仕事
もうだめかも
このところの沈みモードだったわけだが、意外と娘と買い物に突っ走ったり、ネットで馬鹿な品物を注文したりと、ひそかなる楽しみをする余裕はあったわけだ。

ところが昨日、いつものごとく翻訳が入り、巨大ではないけれど、納期が決められているので急ぎの仕事ということになる。
さらに、最近わたしはもう一つのエージェントから特許の翻訳を頼まれて、断り続けていたのだが、そうもいかず、金も要るしなと思って、じゃあ次回請け負います、なんていったのが間違いであった。

昨日、いつもの翻訳会社の仕事と同時に入ってきた仕事なのだが、その内容を見て、ぐらぐらとわたしの体はよろめき、倒れこみ…。

特許だから、お決まりの文句ではあるけれど、なにせ結局発明なわけで、内容も超詳細にわたり、概要は全然外して、その分野での超ディープな部分に関する発明が多いので、まずなんのことか、を知るのに時間がかかる。
それも、全部自然科学だから、わたしは一体どうやってこれを訳せと?!というノックダウン感を受けた。
リサーチしても、ろくな助けにならないことが多く、なにせWIKIに行って、お勉強しながら訳す類のものもある。

特許は、結構厄介なんだよな。それは承知していたが、専門的内容は、そんなに難解じゃありませんっていうからOKしたのに、これは苦労するだろう。

そういうわけで、今日、会社の方の訳を4,5時間やって、半分ぐらいすごいスピードで訳したのだが、それから特許に取り掛かって、今までやって、全然進んでいないという感じ。

すっごく焦る。
胃痛がする。

そういえば、引っ越してからと言うもの、夫の調子が悪くて、それも結構わたしの気をもませるのである。
こんな冷たい女、とか、全然時間を取らないなんて、妻の資格なし、とか、まあ、毎回散々なことを言われて
、わたしとしても、小さくなっているだけなんですが、子供三人で、メシ作るわけだし、メシの買い物にも行くわけだし、掃除とか、4人分の洗濯とかあって、その上仕事もしているんだけど。
そういうことをしっかりやって、自由時間と言われても、自由時間が無いです。

来週は、また娘の奨学金試験だし、末息子は今医者にかかっているし、私自身の医者の予約も重なっているし、友人も会いたいと言ってくるし、どうしていいやらわからない。

子供たちと夫が共に過ごす時間というのは、もう絶対に削除している状態なので、わたし一人だけと一緒に痛がる夫も気の毒だけど、わたしとしても解決策が浮かばない。

わたしだけの時間は、基本的にないので、夜寝静まってから来い、と言われても、やはり子供を置いて夜中に出て行くのは億劫だし…。

こんなことを三ヶ月近くしていたら、夫が何か切れたらしい。
わたしはあんまり堪えていないというか、ドラマをする気もないし、そんな期待されてもなあ、とおもったり、要するに、そっちのことを考える余裕ゼロで、ひどいなあとは思うけど、遊んでいるわけじゃないし、とりあえず、様子をみつつ、わたしのやることをこなしていると言う状態です。

そういえば、彼は、一昨日ちょっと体の調子も崩したのだけど、仕事があって出られず、その上昨日からこの忙しさで、全然「見舞い」に行かれずにいたら、「仕事があるから来れないなんて、お前妻か?全然理解を示すつもりなし」と言われて、なんというか、怒るに怒れず、わたしがおかしいのかしらって思ったけど、追及したくもなく、そのまま、ははあ…っていう感じにほうっておいてしまった。

やっぱ、男の人は、女の仕事なんか、二次的なものだと思っているんだと実感。
どの男の人に当たっても、必ずこの一言をいつか言われる。
女の人は、仕事だ!って夫に言われれば、背筋を伸ばして「そうでございますか」って一歩下がってしまいがちなんだけどなあ。

まあ、結構もうどうでもいいんです。
わたし自身やれることはやっていると言う意識があるし、子供を除外した自分というのは存在できないと言うことが非常にはっきりしているので、嫌だといわれれば、わたしはそうですか…と言って黙るしかないしなあ。
じゃあ、あなたのためにもっと…、というのは無責任だよ。やっぱり子供も夫も大切だというのが現実で、夫を子供たちから切り離して考えるには、夫に理解を示してもらって待ってもらうしかない。
それを嫌だと断言されたら、わたしは頭下げて、こんなわたしですって言うしかないし。

そういうわけで、仕事が一挙に押し迫ってきたことが、実は助けになったりして、そういうのって不健康だけど、とりあえずしょうがないと思う。

で、四時。

明日、美容院。
そんな時間ナインだけど、とりあえず予約しちゃったので。

なんか、相変わらず、すさまじいどたばた人生だが、この先、さらにブログ更新は無理だと思われる。
さびしいような…。
# by momidori | 2009-05-22 10:49 | 仕事
やだなあ
一時半だ。
二時から仕事だ。

仕事行きたくない。
誰にも会いたくない。
ひたすらテレビでも見ていたい。
何にもしたくない。

ああ、ああ。

昨日、チンジャオロースウ(そういうよね)を作って、お味噌汁と、炊き立てのご飯で食べた。
なんだか、嬉しくなって、お茶まで入れた。

その前の日は、日本食レストランに行って、洗練された日本食を食べてきた。

最近になって、突然電車男をユーチューブで見てしまった。

なんというか、仕事なんかしないで、さっさと日本に帰って、隠居したい気分なんだよな。

疲れだろうか。
いつまで、人生疲れているつもりだろう。

昨日は元気だったのに、曇り空で、天候が不安定だと、体が思い。

ああ、今日は仕事に行きたくないなあ。

しょうも無い更新だが、つぶやきたかった。
# by momidori | 2009-05-18 20:37 | 日常
ボヘミアンについていかれない
昨日、朝から晩まで、また家の中で片付けていた。
一人の引越しなら、一週間できれいにできるが、三人子供がいるので、家財道具が多いし、部屋数もある。
絵をかけたり、壁に取り付け棚をつけたり、蝋キャンドルのおき場所が決まったり、と言う段階に来るまでには、やはり三週間かかるのねえ、とため息が出た。

で、居間もすっかり終わった。
私は、人のうちを拝見するのが大好きだ。
それは、インテリアが趣味と言ったことではなくて、家の中を見ると、遠くにいるその方の生活環境をぐっと身近に感じることができる。
そういう親近感が沸くので、とても興味があるのだと思う。
その際、趣味とかそういったことには、関心ない。
簡単に言えば、生活臭に触れたいのだ。

で、私の生活臭も、いやでも発散させようと思うのだが、何せ、まだ匂いが漂うほど住んでいない。
この先、もっと物があふれて汚れてくるのだろう。

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窓の外に見える木が、3日前はまだハゲであった。それが、このように輝いてくるのが嬉しい。

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もうちょっと角度を変えると、こうなる。そういえば、このタブローは、小さくて見えないが、パリの蚤の市に友人と行った時に見つけたものだった。
16世紀の作曲家マリーニの稽古風景が描かれているので、ほれ込んだ。
確か二つで30ユーロ。安かったよなあ。

で、家が一段落し、疲れたときにふっと休める避難場所ができた。

_____________

昨晩、夫の営む出版社の朗読会があった。
でも、普通想像するようなまじめなものではなく、紛れもないボヘミアンの集まりで、偶然私の住むとおりにある、インサイダーなナイトクラブで行われた。
写真家の写したモノクロームの映像をバックに流しながら、作家自身が朗読するのだが、その小説が、下手をするとひどく過激なポルノグラフィーと言えるような内容である。

九時開始と言う始まりも、日本では異例だが、すさまじいのは、バーに入ったとたんに、呼吸困難に陥りそうな空気だ。
ほぼ全員、すぱすぱとタバコを吸い、手にはお決まりのBecksのビール瓶。もちろん女性もビンごと飲むのである。
私は喫煙しない。喫煙者を毛嫌いする権利はないし、消費する自由は認めざるを得ないので、普段は静かにしているが、このような空気を何時間も吸わされるとなると、もうその瞬間吐き気がしてくるではないか。

私は、入った瞬間、夫に別れを告げて、片隅のソファの端っこに腰をかけて、しばしこの空間を眺めることにした。
唯一、年配の男性が、そのソファの横に腰掛けていたので、すぐさま、この雰囲気にくらっと来た私は、そちらに突進したのだ。

で、一面黒。黒以外の服を着ている人間が見えない。
男は、たいてい、グレーか黒などの「いかした」タイトスーツに、白いTシャツや、ワイシャツを着ている。もしくは、黒やグレーのブレザー風ジャケットに、ジーンズ、白いワイシャツと言った格好。
女は、黒いタイトなワンピースか、ジーンズに黒いトップのような感じ。

で、全員、上を向いてビール瓶片手に、ぷかぷかなのだ。

朗読そのものは、作家兼朗読者が、もちろん何本もビールを飲みつつ、タバコを一箱消費しながら進行した。
で、酒を飲んでいるので、まあ読み間違えの多いこと。
しかし、それがチャームなのである。
それを素面でまじめに朗読するようでは、客がしらけるのであろう。

客の面々を眺めていると、チェーンスモーカーばかりだ。
朗読中も、席を立ってはビールの追加を取りに行く。
やっと吸い終わってくれたと思っても、1分も経たないうちに、またタバコを箱から取り出す。
隣にいた若者グループなど、巻きタバコだから、こっちにくる煙も果てしなく濃厚だ。

私は、本当に咳の発作を起こし続けであった。

で、その小説のキッチュなことと言ったら、私の方が穴に入りたい気分である。

朗読会が終わって、私は夫の知人関係に一通り、冷たい挨拶をした後、ビールの一滴も飲まずに、徒歩30秒の家に帰宅した。
九時開始、帰宅時間11時半。
本当に、チラッと見てきただけだ。
でも、子供たちの寝顔を見て、ベッドに入れることの方が、有効な時間の使用法だなと実感。
着ていたものは、ひどくタバコくさいので、すぐさま脱いで、シャワーを浴びて就寝した。

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しかし、寝起きが良くない。
私は、昨晩のことを引きずっているようだ。

ボヘミアンとは、あのようなものであろうか。
黒い服を着て、妙に気障だったり、妙に良い男であったり、妙にアンニュイだったりし、女は、一様にニコリともせず、タバコをふかしつつ、切れのいい会話を男と競う、というような、そんなものだろうか。
Becksのビールをビンごとのみ干し、カルトな銘柄のタバコを吹かさないと、「つまらない」類の人間なのであろうか。
小説家、ジャーナリスト、モダンな人文学者、出版者、編集者、そういう業界にいる人間は、「退屈」「つまらない」というカテゴリーにはまったら、人格崩壊なのだろうか。
人間として、「つまらなくない」演出こそがすべてなのだろうか。

私は、昨日一日中掃除をし、自分のための場所を築くために、心を集中させていた。
ずっと立ちっぱなしだったので、疲れきってちょっと休もうかなと思いラジオをつけたら、私のお気に入りの「古楽の時間」が放送されていた。
簡素で少数の楽器で演奏される古楽、さらに、澄み通るような声で歌われる古楽を聞いていると、心が自分の中心へ向かって、鋭く研ぎ澄まされていくような気がした。
私自身とか、自己とか、そういったものを実感する瞬間である。
その地味さや簡素さや、構成の「貧しさ」に、私の心は揺り動かされるらしい。

そんな体験をした後、夕食を作って急いで出向いた先が、昨晩の朗読会である。
ボヘミアンとはなんだろう。
ボヘミアンの定義は、WIKIを見れば、いくらでも納得することができる。
しかし、今ベルリンで一番「ハイプ」といわれるこの界隈に住み、インサイダーの隠れ家のようなバー/ナイトクラブに集まってくるインテリ集団は、いったいどのような世界観で暮らしているのか、皆目わからないのだ。

出版業を任されている知人の男が言っていた。
「こいつら、本を買うには、クールすぎるんだよね。本すら買わないんだよ。」

理解するのに、ちょっと時間を要したが、結局、インテリ度が高いことは、当たり前であるが、本というメディアは、もう古臭くてやっていられないのである。
私は、ウェブ進化論を読んだ時、新いなあと感心したのを覚えているが、そのウェブすら、彼らの眼中にはない。
「インサイダー」な飲み屋で夜な夜な通ううちにつながり、そこから広がる人脈を通して体験する、こうした「アンダーグラウンド」なイベントこそ、「今」の「ハイプ」なボヘミアンライフそのものなのだ。

この引きずり感は、私が歳を取ったことを実感しなくてはならない事実である。

二十歳そこそこで、私は欧州にやってきた。
最初は音楽畑で、パーティーや社交に鍛えられた。
日本と比べると、コミュニケーションのシステムが、比較にならないほど異なる。
お互いに話しかけて、相手にふさわしい話題を察して、会話を築いていこうとする日本の世界に慣れていたが、こちらでは、必ずしも、私にふさわしい話題を探してくれる人にめぐり合うとは限らない。

しかし、クラシック音楽関係は、いたって保守的である。似たような育ちの人間が、似たような環境に生きてきた背景を抱えながら、会話をする。
身なりや立ち居振る舞いにも、ある種の共通点があるし、コンサートの話や、CDの話をしていればとりあえずいい。

それでも、私は戦場に行くような気分で、パーティーや会合に出向いたものだ。
本当の私、といったものは押し殺して、望まれている私、とか、演じるべき私、と言った役割を叩き込まれた気がする。

おかげ様で、どんなパーティーに行っても、物怖じしないで乗り切る処世術は身につけただろうか。

ところが…、このボヘミアン軍団は、まったく私の小市民的/市民的(要するにプチブル的)背景の通用しない軍団である。
Wikiにもあるが、そういう家庭に育った子息の反逆精神のライフスタイルが、ボヘミアンであるわけで、利口にクラシック音楽など奏でていないで、前衛で、最先端に意地でもかじりついていることをモットーとする人たちである。

そんなところで、相手本位な会話を構築して、コミュニケーションを成立させようと思うこと自体が、姿勢として失格の烙印を押されるほど、異質なことなのである。

かといって、インサイダー情報と人脈でつながる彼らの会話に、いとも簡単に、するりと入りこむことは、不可能である。
なんでも練習が必要なのと同じで、インサイダーになるまでの意志と訓練が問われるのだ。

昔の私だったら…。
どこまでも突き進んだろうと思う。
失敗しても、また違うグループに行って、いとも簡単に会話に入ることを試したと思う。
夫や彼氏、友人の背中に隠れることすらなったが、ついて回った時代もあったかも知れない。ドイツ語をうまく駆使できなかった頃は、そうして聞いて、聞いて、システムを把握しようと必死であった。

いまや、自立してパーティーを渡り歩けないこと自体が、恥だという、そういう燃えるような、yと言えば聞こえが良いが、「無謀な」野心だけは持っている私なので、夫の後ろに立っている自分というのは、ないものと決めているのだ。
だから、飽くまでも、「私」という名刺を提げて、ひや汗かきながら、演じるべき自分を演じきろうとしたはずである。

ところが…、

今の私は、もう疲労困憊するのみである。
結局、「自分」以外になる気は、さらさらないと言うことがわかった。
それを無駄な労力と言い切る自分というか、自己の存在をはっきりと感じた。

今更…、とおっしゃる方には、そうなんですよと言いいたい。
私は、性格の強さは持っていても、自己や自意識に関しては、まったく「人格レス」かと言いたくなるような、「白紙なひと」なのである。

それが最近、またまた家を出たり、自分の巣を築いている間に、私の「核」に触れそうな気配がしてきたのである。

それを象徴するようなパーティーが昨晩だったから、後を引くのであろう。

私は、中世やルネッサンスの音楽を静かに聴いて、古いものや新しいものに囲まれて、シックとか、ハイプなものを故意に拒否することで、ライフスタイルとする、地味で、硬質で、変化を嫌がる「たいくつ」な人間なのである。
でも、人に邪魔されず、好きな分野の本を読んで、自分に思いをめぐらせることの好きな、異常に内向的な人間なのである。

しかし、だから何であろうか。
自分を曲げないと認められないような世界には、足を踏み入れない。
今更、挑戦を続ける必要はないのである。
挑戦を続けることは、単にポジティブであるが、線路を決めないといけない。

これは、先にも書いたが、やはり年齢のせいでもあるのである。
それを実感することが、小さな痛みであるが、自己の方を大切にする自分が、今の自分にはテーマであろうと思うのも、また事実である。

問題は、夫自身の世界が、知り合った当時とは、違う方向へ伸びて行っていることである。
彼も、やはり自己を再確認しつつあるのかもしれない。

だとしたら、私たちの歴史は、蜃気楼に過ぎなかったのか

という最大の疑問がわいてくる。

おそらく、それが後を引いている真の原因であろうと思う。

夫も、おそらく同じ気持ちを抱きつつあるのであろうか。
ハイプを追い求める夫。
ハイプは、不要要素と言うレッテルを貼った私。

どう、折り合いをつけるか、これからの課題である。

要するに、夫婦は、夫婦という二人だけのレベルを保つだけで、社会的要素は、別々に生きても、夫婦であり続けるのだろうか、ということである。

まだまだ、私の実験人生は続く…。
# by momidori | 2009-04-18 22:31 | 巡る思考