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人間味の難しさ
って言うことで、明日からまた鬱々とした日々になるので、なんだか突然更新が進みました。

昨日、連休最後ということで、一家でWannseeまで行ってきました。
お天気も良かったし、いつものNikolaskoehで食事を取り、初めてPfaueninselまで足を延ばし、一日中太陽のなかで過ごしたので、子供達もご機嫌だった。
私1人では、とてもできることではないので(やる気にならないし、子供達ものってこない)、いい思い出を一つ作れてよかった。

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久しぶりに帰ってきた夫なので、それは毎日計画的に過ごして、それなりに充実した日々だった。連休だったので、私の仕事もなかったし、仕事とプレイベートの板ばさみになって苦しいと言うこともなかった。

でも、深い心の交流はできたようでも、たった一週間強では、とても無理がある。
言いたいけど、止めておいたほうが良いことや、言いたくないけど言わなくてはならないことなど、いろいろと心の中で整理を付ける、つまり制御しつつ生活する部分が多くて、心が休まった部分もあるけど、不満な部分も残っている。

十日ではとてもじゃないけど、二ヶ月の穴埋めはできない。
美味しいもののにおいをかいで、でも食べちゃいけませんといわれているような気になる。

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今後は、三ヶ月だ。
七月の下旬に一時帰国し、その後みんなで日本に飛ぶ。そのチケットはさすがに手配した。でも、手配して帰ってもらったほうが、気分的にも楽だし、そういう目的を一つ一つ作り、クリアすることで、長期の別離に耐えられるのだということは、私の心の中ではわかりきっているけど、相手からは、そこまで気を使ってチケットを取って置いたほうがいいね、というお言葉が来るわけではない。
何でも、先手を打つのは私なのだ。
その辺で、また力の入れ具合が違うとか、時間や労力の賭け具合が違うなどど文句もでるのだが、そんなことはこんな時には口にしたくない。
そこで、変な気分に襲われたり、変な夢を見たりする。
心の中に、沸き起こってくる黒々とした不気味なものについて話をしようにも、刹那でしかない感情に、時間を費やすだけ非効率的。論理の存在しないものに関して話し合いをしても、明日には基盤がすっかり変わっているのだから、セラピーのようなことは一切できない。
私は常々こういわれている。
論理では成り立たない気持ちや心があるのが人間だが、理性から見ると、そこに価値はないらしい。
文学も芸術も、感情だけではなく、美意識と共にフォームを取り、具体化されて、意識的に作成される過程があるい以上、学術と同じ。
フォームを持たない気分や感情に時間を費やすのは、故にバカらしい。軽蔑すべきこと。
以上は、すべてワタシが言った言葉だ。
私の言葉ではない。
私が知る彼の心の中をさばいたところ、100パーセント納得され、それだけ良くわかっているのなら、今日という日を台無しにしないよう自己コントロールしてくれ、といわれた。

コミュニケーションに失望を覚える。

「時々」しか分かり合えないのが人間である。自分という人間が二つとない以上、それはパートナーにおいても当然だ。
それでも、ワタシはワタシの魂のような部分が、まるで無視されていると思えて仕方ない。
具体性がなく、フォームに乏しく、変異的で、決して一つの定義にとどまることのできない情感をここまで過小評価されると、相手の太古的感情能力を批判したくなる。
しかし、こういう気分では、確かに口を開けば相手には批判にしか聞こえない。
この日は台無しになってしまう。

論理固めのドイツ人全員を心から嫌悪したくなった。
しかし、私が何か言えば、
社会的ロマンチストが、ナルシスト的芸術ムードを味わいたいがために、陥りたがる心の無意味なセンチメント、ということで投げ捨てられるのは、目に見えている。

人より繊細だというのは、辛い。
ことごとく思い知らされるのは、感じることのできない感情や感覚は知りえないということだ。
感じることのない夫に、ワタシの黒々しい心の渦に関して何度説明しようとも、それは果たして理解されることはない。

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最近変なことが起こりすぎて困っている。
こんなアタシを好きだという人間が出てきたり、君を家に持って帰りたいと言い出す、変な他人に出会ったりして、かなり混乱状態である。
春で周囲が狂っているのだろうか。

でも、これはみんな私の心にそっとしまっておいて、不安になっても不快になっても、寂しくなっても、夫と交流することはできない。
ほのめかそうものなら、頭から無視される。

なんでこんな変なことが起きるのだろう。
人生に、たまにそういうことがある。
一生恋に縁の無かった人が、突然あっちこっちで恋をしだしたり。
全然もてなかった人が、急にもてだしたり。

ワタシは至って静かであり、自分から何を求める気力もない。

しかし、一人生活が板に付いた私という人間は、他人に対して以前とは違う態度を感じ取らせているのかもしれない。私にはわからない。
そういう変化が、自分では意識できない変化が怖い。

愛情とか恋愛とか、そういうどろどろしたものは、今更一切興味がない。
そういうことに巻き込まれるのもいやだ。
しかし、私の魂が無下に扱われていると感じる瞬間、ワタシは時々ふっと中に舞い上がるみたいに、心もとない寂しさを感じる。

しっかりと、大きなものに包まれて、しっかりと固定されて、私を繋ぎとめて欲しいと思う。誰が繋ぎとめてくれなくても、私は決してどこへも行かないし、居場所を見失うことはありえない。
でも、繋ぎとめてもらっているという心地のよさは、安心感につながり、ワタシの肌寒い心が常に温められていると同じことである。
繋ぎとめられていないかも知れないという心の状態は、肌寒い風の吹く中を1人で先の見えない手綱につかまってそれをたどっているような感覚である。

その包まれた心地よさをドイツ語ではGeborgenheitと呼ぶ。
魂や感情といった、一見論理的根拠や価値に乏しいものを交換して初めてGeborgenheitが得られるのではないだろうか。

では、それをもらえないような気がする私は、夫に対して、どこにGeborgenheitを感じるのだろうか。

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娘のために、昼デリでサンドイッチをテイクアウトしたら、イタリアオヤジとその彼女が、明日から私が一人だと聞いて、慰めパーティー開くからおいでといってくれた。
店から出たら、行き着けバーのシェフバーリストのRが、サングラスをはずして、おーい元気だった?と声をかけてくれた。夫が帰ってきているのに、彼は店にでていなかったのだ。
アタシは1人でも行くからね、といったら、いつでもおいで、カウンターで待っているよといってくれた。

なんだか、涙が出そうになった。

イタリアオヤジも、バーリストRも、ワタシの私生活でのちょっとした秘密と悩みを知っている。
人間味を感じた瞬間である。
何が恋しいって、人間味だ。

明日から寂しくなると思うと、なんとも心が暗い。
でも、一生懸命努力した甲斐があって、私は地域に密着している。
人間味がゼロではない。

頑張っていかれると思った。
by momidori | 2008-05-05 23:31 | 遠距離婚
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