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昨日のパーティー
朝から蒸し暑い。
でも二日酔いなので、なかなか起きられず。
昼過ぎです、起きたのは。
こんなことでいいのか!!

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昨日もかなり蒸し暑い日で。
でも、ガーデンパーティーに行ってきました。
実は、Ludwig und Frankというオーボエ・ファゴットの専門店で、この十年間で恐ろしい飛躍をみせた工房です。
オリジナル楽器を製造していますが、職人の腕も素晴らしい技術で、そうそうたるダブルリード奏者が、欧州各地から、小さな修繕のためにもやってくるというところです。

私の前夫も息子も個々に大変世話になっている。
おまけに、社長さんは私の兄にも日本で会っており、私はメッセであった時に、昨日のパーティーに招待されたというわけだ。

で、会いました。
過去の顔ぶれに。

みんな驚いてくれた。
私が来るなんて、誰が思うわけもないじゃん。
でも、私は息子のために来たようなものでしたから。

まあ、どんな進行で、誰が来ていて、何の曲目を吹いて、誰とどんな話しをして、楽器の具合がどうで、それぞれのソリストは元気だったか、というようなことを書久野が普通なんだと思う。
でも、私が書くと、なんというか知人のインサイダー情報になってしまって、かなりまずいこともある。
大まかにしか書けない。

ガーデンについてまもなく、オーボエ奏者Iが、長年の彼女Yを連れ添って入ってきた。
狂喜する私。
彼女と私は、まるで姉妹のように毎日のようにIの家で会い、Iと私の前夫が音楽の話をしている間中、愛の悩みを交換し合っていた。
彼女も私も学生で、自分達のパートナーはProf.だったという状況が重なり、学生として難しい立場を乗り切るのに、色々と話し合った。
しばし抱き合いの再会。
Iと抱擁した時は、涙が出そうになった。

ちょっとした演奏会場になっているところに入ると、有名になってしまったオーボエ奏者Aに会う。Aとは、連絡しようね、会おうね、飲もうね、といいつつもう何年も経っている。私はどうせ社交辞令だと思っているし、彼も忙しいスター奏者だから、こんなアタシに時間を割くわけがない。ちょっとそういう表面的なヤツなのだ。
それでもAは、再会を喜んでくれて、なんで連絡してくれないの?と文句を言う。
本心じゃないのに、そんなこと言うなよと思うが、やはり古きよき友達であることに変わりない。
また抱擁。懐かしい。
懐かしいとは思うけど、こんなに良く知っていて、あいつも恋愛問題まで助けたことがあるのに、なぜか感情が吹き出すようなことにはならない。
どうしてもAの本当のところには行き着けない。
本当のところは、この人本人にも判っていないのかなと思うって見たりする。
その線が一番正しい。

そうこうしているうちに、第一回の演奏が始まる。
もちろん、A君主役ね。
当たり前じゃん。
A君はうまい。しかし人物同様、どの辺が本気でハートなのかわからない音楽をする。
隙がないくらい緻密に作り上げられているけど、これがA君という実感がわかない。
パーソナリティーと音楽がかみ合わない。
学生時代よりもさらに洗練されたけど、舞台は、演奏曲目ではなく、A君の舞台になっている。
これが、お客の欲しているものだ。
ガーデンパーティーの常で、ぱちぱちと写真が…。
A君の写真は、そんなに貴重なのか。

コンティヌオで、いやはやなんとも懐かしいKが、ファゴットを吹いている。
もうMondseeのフェスティバルで、まるで縁切りみたいにして私が飛び出してきて以来、十五年以上会っていない。
眼鏡をかけて、ちょっと太ったので、私には誰だかわからなかった。
もうかなりの年だ。でも彼のファゴットを聞くと、感情がこみ上げてくる。
ファゴットのメロディーを他の人の演奏で聴くことがいかに辛いか、久しぶりに実感する。

ひとしきりの演奏が終わって、また庭にでる。
Kに挨拶に行く。
Kもびっくりしていた。しばし、近況を報告しあうが、相手はマエストロである。
所詮、相手の近況を聞くことになる。
ドラッグにはまり、親に心配をかけていたという長男も、今はベルリンの大学で学んでいるという。父親にで立派になった息子が、彼女とお父さんの写真を撮っていた。

この人には、色々な思いがある。
前夫を陥れたり、陰口を叩いたり、それはきれいな世界ではない。
それはどこの世界でも同じだ。
でも、この人には個人的にいつも参らされた。
それでも、この人にも懐かしい思いがこみ上げてくる。

次々と演奏が始まる。
何度も集まり、また解散し、何人もの古い知り合いに会った。
WeimarにいるF、南西ドイツ放送響のW、ベルリン国立オペラのI。
みんな、もう本当に十年以上顔を会わせていない人たちなのだ。

でもみんな驚いてくれて、驚くことに、みんな私の名前を覚えていてくれて、どうしていたの?ときいてくれる。
ありがたいことだ。
人間関係には、心なんかないのかもしれないと思ったこともあったけど、例え自分が、彼らの過去の断片であったとしても、心を通わせていた人たちは、今でも暖かく迎えてくれた。

色々な人たちが、もっと出ておいでよ、子供達をつれてフェスティバルに顔を出せよ、と言ってくれる。
嬉しい。

音楽家、しかも一流どころのかもし出すエネルギーは恐ろしく強い。
良いものも、悪いものも含めて、周りを引きずり込む吸引力は激しい。
だから、70をすぎても爛々とした目つきで彼らは演奏し続け、人々を魅了し、毒する。
決して高い芸術性が決定的な才能なのではなく、恐ろしいエゴの塊が、芸術と融合して、私達を吸引していく。
久しぶりに、音楽家のエネルギーの高さに、鳥肌の立つ思いがした。
と同時に、Iの彼女で長年の友人でもあるYに、私はつぶやいた。
「これにはまって、たくさんエネルギーをもらって、勉強して、泣いて笑って、本当に鍛えられた。本物をそばで体験することで、芸術家の、あらゆる意味でのすさまじさを見てきたけど、私はそれがいつか息苦しくなって、彼らのエゴに吐き気がして、人間としてとんでもない奴らに嫌気が差して、出てきた。
でも、今外から距離を置いて見ると、やっぱりこの人たちはものすごいエネルギーと吸引力を振り撒いている。どういうものに、自分が何を自覚して惹かれ、人生を賭け、苦労を重ねて来たのか、まるで今やっと判ったような気がする。」
Yは黙ってにっこりし、そうなんだよね、そうなんだよねとうなづくような目をして、私の肩をさすってくれた。

スキあるごとにAがやってくる。
私は昔からAのおもちゃにされ続け、いつもマスコットみたいに扱われ、特別な友達と紹介されるのに、真面目に話した記憶がないんだよ。
いつも不真面目に笑って食って、飲んでいるだけだ。
Aがもちろん本気で私に言い寄って来たことなどない。
学生時代、一緒に留まったことだってあるけど、君と僕はそういう風にはならないよねえ、といつもチャカしていた。
Aには、どうしても侵入できない大きな壁がある。
それが、「僕は怖いし、こんな自分が嫌だ」という、何年か前の発言になったのだろうなと思う。
だけど、それが昨日見た限りでは、もう彼のライフスタイルになっていた。

有名であることを利用し、素人にちやほやされることで、さらに偉大感を高め、もう今更本質とか、真実を探す生き方こそ、バカがやるものと怒鳴られているような気分だった。
そういう演奏をしていた。
それでも、Aとビールを酌み交わす。
Kもやってくる。そこにいた、真面目で実直な、でも小さな演奏家達が、そっと身を引いていく。
身の回りには、AとKと私だけになる。
ああ、ああ、息苦しい。
すごい自分オーラに囲まれて、なんでもない私なんて、つぶされそうだ。
半分皮肉に思ってみる。

引くことはないじゃない、皆さん。
なにも、有名だからって、皆さんが引くから、この人たちはすぐそこに漬け込む。
堂々としていないと、ものの数秒で自分の存在なんて消されてしまう。

そういう度胸が、20年前の私にあったら、Kにつぶされることもなかったろうに。
今では、こうしてKとビールを飲み、Kの前の奥さんの話と、息子の話をしている。
信じられない。
しかし、Kが来ればすぐにKの世界になる。
Aがいれば、Aの話だけになる。

彼らからあふれ出るエネルギーをもらえるもの確かだ。
それは決して演奏からではないけど、みなぎるエネルギーを放っている人に、私が惹かれるのは事実だ。
でも、もういい。
もういいよ。

何回も演奏が繰り返される間に、その他の古い友人たちと話し、時たま私の前夫の話にもなり、私は彼との素晴らしい関係を喜んでいると話し、彼らも、それに納得してくれる。

夜が更けるまで、私は結局残っていた。
私が残りたかったのではなく、話たい人と話したい事柄を話し終わるのに時間がかかったのだ。

夜も深けた頃、Aの彼女がやってきた。
うーんと、この方が、確かこの間あったときに、もう別れたいといっていた人よね、と思う。
そうだけど、結局別れられなくて、今でも一緒にいて、幸せで、一緒に西ベルリンの果てに引っ越したと、先ほど聞いていた。

それにしても、A本気?と思ってしまった。
コンピューターで製作したような完璧な顔だから、もう覚えていない。
完璧な顔と言うのは、記憶に残らない。
バービー人形を拡大したような人形で、結構小さい私よりも小さい。
金のストレートヘアが、真っ赤な生地の水玉ワンピースになびいている。
サンダルまでおまけに赤地に白い水玉。

A君。やはり君は、こういうカードを引いたのね。
やはり卒業以来、君の突進して来た道は、すでに私達とは違ってしまっていたのね。

どの顔を見ても、全員、本当に全員、崩壊家族を抱えている。
私もそのうちの一人だ。
A君だけ、崩壊家族とは縁がない。
結婚もしたことないし、子供など考えたこともないだろう。
「本気」を知らない人なのだ。
本気になるのが怖いって、いつもこぼしていたじゃない。
楽器だけは本気でやった。
でも、本気で本物を追求したのではなく、本気で成功を追及したのね。
成功という立場にぴったりな人形とよりそって、これで彼のストーリーは完璧。

今朝起きても、興奮が収まらなかった。
あれだけの感情が動く再会を果たしたのだから当然だと思ったけど、午後になって頭がはっきりしてきて、私にはわかった。

そうじゃない。
怒りだ。
深い怒りなのだ。

そういう生き方にたいする怒り。

前夫がいなくて良かった。
あの人は違う。
贔屓目に見なくても、人にコテンパンに言われようとも、あの人の純粋な音楽への聖なるすべてを捧げる態度を誰に真似ができようか。
成功の意味もわからず、政治のすべてを拒否し、常に演奏家として、黒子として、作曲家とその作品が完璧になるように、それだけを追求し生きる姿。
馬鹿だと言われようと、私はそこに尊敬を覚え、それに心を動かされ、それを愛したし、今でも愛している。

だから、あの人の演奏は人の心を引き剥がすように揺さぶる。

揺さぶられるから、怖いんでしょ?

純粋ではないから、純粋なものが怖いんでしょ?

私は、一番心の深いところでつながっていた、そして今でもつながっていると実感できたIに、最後に別れを告げて、息子の手を引き、車に向かう。

「今度Rでのフェスティバルに子供達をつれておいでよ、絶対においでよ、みんな喜ぶよ。」
何度も彼が言ってくれた。

暗闇で疲れを覚える。
そして、おなかのそこから、私は安堵した。
ああ、私の前夫が、ああいう路線に行かなくて良かった。
行くはずもない。
私達は、その純粋な態度を追求するに当たっては、常に二人三脚であったのだ。

音楽のあり方が違う。
そう思うことは、もうしょっちゅうだ。
でも、私の子供がもし音楽家になることがあろうものなら、有名だとか、成功だとか、そんな取るに足らないものに惑わされることだけは許さない。
そうじゃなくて、本当に音楽を学びなさい。
本当に苦しみなさい。
芸術を心がけるものが、稼ぐことと、成功することに対し、芸術の本質を追求する作業との狭間で、苦しみのたうちまわらないはずがない。
どうせ音楽家になるなら、音楽そのものを追求しなさい。
成功は知らずに付いてくるもの。
成功を探し、求め、築くことは、時間がかかる。
企業家でもあるまいし、そんなことに時間があるくらいなら、スコアを勉強して、未完の作品、満ちの作品を求めて、当地の図書館をさ迷い歩き、あらゆる新しい発見と進展を自分の中で生み出し続けるために、探求しなさい。

Aは、私のことをマスコットみたいに可愛がってくれているけど、本当はあざ笑っているのだと思う。
ああいう、男を選んで、あんな苦労をして、君って本当にナイーブだよなあ。
そういうことを言われた記憶もあるし。

Aは利口だ。
利口な生きかたってなんだろうか。
純粋な生き方だといけないんだろうか。

涙が出るほど、前夫をいとおしく思った。
私は彼が今でも一番純粋で崇高な精神で音楽を貫いていると信じて疑わない。
それは私の個人的思い入れではない。
本当は世の中みんながわかっている。
ただ、彼らはそれを見たくないだけなのだ。
本人が気がつかないほど純粋な人間を目の前にして、一体誰が恐れおののかないと言うのだろうか。
by momidori | 2008-06-09 02:40 | Musik
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