先日帰国した。
午前中早くに到着し、その午後、予想通りうつらうつらと寝入ってしまったが、夜に、再び眠気に襲われて、早々と床に就いた。 夜中一時半に目覚める。 身体は、非常に重く、起き上がるのも億劫であるが、目をつぶっても一向に眠りにつくことができない。 半覚醒状態で、暗闇の中、疲労した身体にめぐる心を任せた。 二時ごろ、隣家の赤ん坊が泣き出した。 裏の大きな一軒家の主がなくなった後、相続問題でアパートにされた一角の家族である。 私はこの一家ともちろん面識はない。 しかし、母親の子供をあやす声がかすかに聞こえると、その家庭の姿を想像してしまう。 うわさによると、茶髪の子連れ再婚だということであるが、そんなうわさも、想像力をたくましくする助けになる。 しかし、どんな母親でも、夜泣きをする赤子を抱いて、あやすのは辛く忍耐のいる仕事である。 この赤子は愛されているなと想像すると、なぜかホッとする。 二時半、近所の野良猫の喧嘩が始まった。 野良猫の喧嘩は、なぜかいつも夜中なのだ。 子供の頃、夜中にこの猫の独特の喧嘩声で目を覚ますと、身が縮むほど怖かった。 猫の喧嘩は、それほど凶暴に聞こえるときがあった。 この晩の喧嘩は、それほど大事にも至らず、五分ほどで終了した。 猫の世界でも、根性なしな輩が増えたのであろうか。 三時、再び赤子の声がする。 同時に、せみが木から落ちたのか、がさがさという音と、ジージーというせみの寝ぼけた声が聞こえた。 三時半、早くも新聞配達第一号のバイクが聞こえる。 そうそう、昔は自転車だったのに、80年代後半であろうか、90年代であろうか、バイクに変わったのは…。 規則的にエンジンが止まり、ポストに投函される音がする。 四時、そろそろ白んでくる頃である。最初のカラスの声が聞こえた。 と同時に、遠くの庭でヒグラシの憂いのあるというか、郷愁のある鳴声が聞こえる。 なるほど、ヒグラシというのは、夕刻だけに鳴くのではなく、明け方にも鳴くものとは知らなかった。 四時半、ヒグラシの声が消え去ると同時に、ミンミンゼミがその第一声を上げる。 寝ぼけているのか、ジージーとかすれた声を出し、まるで発声練習をしているかのようである。 五時、もう一社の新聞配達のバイクが通り過ぎる。 私の家は、新聞二紙を読んでいるので、三時半のバイクも、このバイクも止まり、気の毒に、段差の大きい階段をわざわざ上ってポストに入れてくれるのだ。 新聞配達がくると、起きている人々の姿を実感することができ、これまた長い夜中をやっと後にした者には、不思議な安堵感を与えてくれるのである。 五時半、外はすっかり明るくなったようで、庭のミクロコスモスは、今日も長い一日を元気に開始したようである。 セミたちは、早速番を求め、ジージー、ミンミンと大合唱を始めている。 カラスは、広い空を縦横無尽に横切り、庭に生息している昆虫も小鳥も野良猫も、動き出しているのか、時折ザワッと音がする。 木々も風吹かれ、昆虫たちが葉から葉へと飛躍し、不思議にまとまった雑音を作り出す。 六時、やっと家の前を足早に通り過ぎる、通勤者の足音が聞こえてくる。 人間社会も、遅まきながらまた活動を開始したようである。 そして私は、またうつらうつらと眠りの世界へと強引に引っ張られていくのである。 夜中、耳を澄ましていると、本当に自分が日本に帰ってきたことを私の身体が実感する。 それにしても、なんと植生豊かな国であろうか。 なんと多種多様な生物が、この小さな庭に存在し、その生活音を混合させて、私の思い出の音を作り出していることであろうか。 不思議なもので、触覚でも嗅覚でも視覚でも味覚でもなく、まず聴覚が日本にいることを実感させるのであった。それも視覚の遮断された真夜中の効果は高い。 おそらく、これは第一日目の夜であったからで、一週間、二週間と滞在が伸びるたびに、このような新鮮な感覚は薄れていくのであろう。 ___________ ベルリンの夜中は、こんなに豊かな表情を見せることはない。 もちろん住んでいる場所にも寄りけりであるが、なにしろ植物も生物も、日本よりもずっと数に限りがあるのではないであろうか。 夜中、車の数が減り、最終の市電が走り去った後は、夜中まで飲んだくれで好い気になっている若者の声が聞こえてくるのみである。 虫の声も、鳥の声も鳴く、車道に沿った並木も、風や雨でもなければ音一つ立てることもない。 そうした沈黙が3時から5時ぐらいまであり、その後は、また始発の市電の音がして、石畳の通りを走る車の数が増えていくだけである。 そして、唯一の生物の音は、五時ごろに聞こえる小鳥たちのさえずりである。 からすの声を聞いたためしがないが、カラスは存在してる。しかしグレーでみすぼらしく、その声を聞く機会は多くない。 しかし、小鳥のさえずりは愛らしい。それだけで、脳裏に木々の緑が浮かんでくるのである。 ___________ 体内の記憶とは恐ろしいものだ。 記憶が蓄積されると、習慣につながっていくものもある。 この日の午後、スーパーに晩御飯の買い物に行った。 日本のスーパーほど楽しいものはないのだ。 そして、たくさんの野菜や魚を買い占めてレジに来たとき、私は買い物カートから、品物を次々とレジのカウンターに並べていった。 そして、ハッとしたのだ。 時差ぼけは結構だが、こんな痴態を見せて、赤面。 日本では、かごさえカウンターに置けば、あとはレジ係りの人が、すべて次のかごに入れてくれるという流れ作業である。 欧州では、自分がかごやカートから品物を、ベルトコンベアー機能のついたカウンタに並べていくと、レジ係りが、値段を打ち、カウンタ後部に品物がたまっていくようになっている。 次の客の品物が来る前に、どんどん品物を自分で持参した袋に詰めていくという、結構忙しい作業をする。 日常の買い物は、殆ど毎日なので、この身体に染み付いた習慣は、もう自動的行為にまで発達しているらしい。 あらゆる意味で、日本を離れた長さを実感するが、二十年経った今でも、夜中のような風情を身体で実感すると、最期の地は、やはり日本であろうという気がしてくるし、またそれがごく自然な成り行きのように思えてくるのである。
by momidori
| 2009-08-06 00:23
| 旅
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